吉山秀子(よしやま・ひでこ)さんは、被爆当時22歳、
爆心地から南に1.2キロ離れた勤め先の三菱製鋼長崎製鋼所で被爆しました。
三菱製鋼長崎製鋼所は
吉山さんが被爆したコンクリートの本館をはじめ、4つの工場全てが全壊し、
当時出勤していた職員・行員・動員学徒など
2、041人のうち69%にあたる1、406人が死亡しました。
吉山さんは2008年1月31日に85歳で亡くなりました。
乳がんや甲状腺の手術など原爆の後遺症で
50回以上入退院を繰り返しながらも、
長崎を訪れる修学旅行生に被爆体験を語り継ぎました。
(1992年撮影)
注目の記事
「本当は命を失う場所ではなかった」津波にのまれた指定避難所…震災を知らない大学生が被災地で辿る“後悔と教訓”の15年

「私たち家族の楽しい思い出はすべて消え、苦しみや悲しみに変わった」娘を事故で失った小学校の元校長が訴える“命の尊さ” 修学旅行の引率中に「美果が交通事故で死んだ」と連絡が【第1話】

【「公立いじめ」との声も】授業料無償化先駆けた大阪のいま…公立高校の約4割が定員割れ『私立有利・公立不利』の状況は“負のスパイラル”生む懸念【教育アドバイザー・清水章弘さん解説】

“ながら運転”小学生男児トラックにはねられ2年経つ今も意識不明•生涯要介護も…適用されない『危険運転』両親訴え「罪が軽すぎるのではないか」

家族が死刑囚になったーー「殺人鬼の家族と呼ばれようとも」 残された両親と弟、過酷な現実の中で今も生き続ける

3・11午後2時46分発車の仙石線『命を救った判断』あの日の記憶胸に“ビーチサッカー”で目指す姿【東日本大震災15年】









