5月1日で、水俣病が公式に確認されてから69年です。公式確認のきっかけのひとりとなった小児性患者と、支える家族の今をお伝えします。

実子さんの義兄 下田良雄さん「実子起きている?」
水俣病小児性患者の田中実子(たなか・じつこ)さん(71)です。

実子さんは水俣病が公式に確認されるきっかけになったひとりです。

水俣病はチッソの工場排水に含まれたメチル水銀によって魚介類が汚染され、その魚介類を食べた人たちが発症した中毒症です。

水俣湾のそばで育った実子さん。6人きょうだいで、魚や貝をたくさん食べていました。そして、実子さんは2歳11か月の時に水俣病を発症します。

医師が実子さんと、姉の静子(しずこ)さんの症状を水俣保健所に届け出た「1956年5月1日」が『水俣病公式確認の日』とされています。
この時の様子を語る母・アサヲさんの音声が残っています。

母 アサヲさんの音声「箸で食べていたら、箸で食べられなくなって、足が痛い、足が痛いと言って。話すことが出来なくなっていた。その時はびっくりして、これはどうなるものかと思った。公害病になって本当に悔しい。」
水俣病は実子さんから「体の自由」だけでなく「言葉」も奪いました。田中さんが発した最後の言葉は「靴がはけない」でした。

今から9年前の映像です。当時、実子さんは62歳。自宅には24時間ヘルパーが常駐し、介護を受けていました。
実子さんの義兄 下田良雄さん「公害に侵されずに元気でいれば、今頃、孫でもいただろうし、幸せに暮らしていたかも分からないし。それを思うとかわいそうだなと思う。チッソにこの子の人生を奪われたのと一緒」

下田良雄(しもだよしお)さん(当時68歳)は、実子さんの姉・綾子(あやこ)さんと結婚し、両親が亡くなった後の実子さんの生活を支えています。
実子さんの義理の兄である下田さん自身も水俣病患者で、ひどい耳鳴りや頭痛に長年悩まされてきました。同じような症状を抱え苦しんでいた妻の綾子さんは、当時、こんな言葉をもらしていました。

実子さんの姉 綾子さん「実子が自分より先に死んでくれれば、私もゆっくり死ねるのに。実子が死なないうちは死ぬことができない」
現在、71歳の実子さんは住まいを移し、下田さんと2人で暮らしています。最後まで妹を案じていた綾子さんは、おととし、79歳でこの世を去りました。
実子さんの義兄 下田良雄さん「姉ちゃんとして、物凄く心配はあったと思う。自分が先に逝ってしまえば。心配しないように『最後までちゃんと面倒見るから心配しなくていいよ』とは言った」

実子さんはおととし、脳梗塞を発症し、今は、寝たきりの状態で、食事も口からとることができません。
実子さんの義兄 下田良雄さん「自分自身も関節炎だから歩くのが痛い。あと何年生きるか分からないけど」
下田さんも去年(2024年)、病気で1週間の入院を余儀なくされ、自身の身体とも向き合いながら義妹に付き添い続けています。
実子さんの義兄 下田良雄さん「施設に入れても長くは生きられないだろうなと思っているので。妻もそう言っていたから。絶対に入れないって言っていたから。それは最後まで私がいる間は入れたくないなと思っている」

公式確認から69年。
実子さんと下田さんの姿は、水俣病が、歴史ではなく今なお続いていることを私たちに突き付けています。