戦後80年、戦争の記憶を伝える「つなぐ、つながるプロジェクト」です。戦時中、日本でひそかに作られていた毒ガスは中国で使われ、多くの犠牲者を出しました。被害者に思いを伝えるため、中国を訪れた男性がいます。
ビール瓶に入っていたのは「毒ガス」でした。
神奈川県寒川町。戦時中、最大で3000人ほどが働いたとされる海軍の毒ガス製造拠点がありました。
去年亡くなった石垣肇さん。当時16歳で学徒動員され「イペリット」と呼ばれる毒ガスが入った爆弾の製造に関わりました。
石垣さんの甥・高畠修さん(73)。先月、中国・河北省にある北たん村を訪れました。
北たん村では、日本軍の毒ガス攻撃で1000人が亡くなったとされます。地元の資料館には「毒ガスで殺された子どもたち」として写真が展示されています。
高畠修さん
「ものすごく胸が苦しいですね」
李欣有さんは当時5歳でした。日本軍は、李さんら住民が逃げ込んだ地下道に毒ガスを投げ入れたと言います。
李欣有さん
「あの時はくしゃみをしたり、涙を流したりして目も開けられなかった。転がる人や這う人、あたりは死体ばかりで歩けなくなった。私の祖父や父、みんな地下道の中で亡くなりました。長い時間が経ちました。恨んでも仕方ありません。私はまだ全てを覚えています。忘れたくても忘れられません」
高畠さんが石垣さんの日記を見せてくれました。軍事機密だった毒ガスの名前「イペリット」を伏せ字にした上で、その危険性を記していました。
「〇〇〇。〇(イペリット)がついたら手は腐って斑点がつく」
軍国少年だったという石垣さん。毒ガス製造を躊躇する記述は見られません。
結局、石垣さんらが寒川町で作った毒ガスは使用されませんでしたが…
高畠修さん
「叔父からすれば、ものすごく責任を感じていると思う。直接自分が作ったものではなくても、同じようなものが使用された」
高畠さんは、叔父が毒ガスを作ったことへの謝罪の気持ちなどを直接、李さんに伝えました。
高畠修さん
「謝罪します」
李欣有さん
「謝罪はもう言わなくて良いです。しかし、あの歴史は忘れてはいけません。平和のためにも」
高畠修さん
「絶対忘れないで、平和のために引き継いでほしいと。許そう、しかし忘れないと、ものすごく突き刺さりました」
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