新市長になったのは市職員
3期12年市長をつとめ、4期目に立候補していた伊藤市長。4選は確実とされていました。しかし、銃弾が無風選挙を一変させました。
伊藤市長が死亡した翌日、市長の娘婿の新聞記者が急きょ後継者として立候補。糾弾に倒れた市長の弔い選挙を全面に打ち出し、遺族と共に、伊藤市長の後援会もバックに選挙戦を展開しました。

この立候補に対し「世襲だ」と批判の声を上げ立候補したのは、当時市の統計課長だった田上富久氏。知名度ほぼゼロの中、「市政は一人のものでもなかれば家族のものでもない」として「市民力」を合言葉に、超短期決戦、わずか3日間の選挙戦に挑みました。
結果、長崎市の新しいかじ取り役に選ばれたのは、世襲を批判した元市職員の田上富久氏でした。田上氏はここから4期16年、市長をつとめました。