(記者)毎朝こうやって出勤するんですか?
「はい。すぐそこです」

小笠原さんは妻の重子さんといっしょにビルメンテナンスの会社を営んでいます。
出社して最初にやる仕事は事務所の掃除です。

(小笠原拓生さん)
「見えない視覚障がい者っていうのは掃除しながら自分の場所を把握するということもできますので、そういう面では掃除やって会社のいろんな物とかを把握したりとか人のいないときに会社の中を歩いたりするのはいいですね」

2011年3月11日、あの日、小笠原さんは海に近い市街地にあった当時の会社の屋上に逃れました。

(小笠原拓生さん)
「2階の半分くらいまでかな。そこまで水がきてそのときに上に行った人は私のほかに2人女性がいたんですけど、その人たちはいるけれども下でいっしょにいた人がいないなってのは・・・やっぱりね・・」

会長と社長の叔父2人と従業員ひとりが犠牲になりました。

(小笠原拓生さん)
「1人ではどこにも逃げられないもんだから、周りの人に助けてもらわなきゃならないんだけどそれが結果的に負担になるようなことはね自分でも嫌だなという気がするしね。俺がそこにひとりでいるときにまた(津波に)なった時に誰かが気づかって迎えにくるかもしれないですよね。そういうのを考えると浸水域にはいない方がいいなと考えて、こっちのほうに来たんですよね」

10年前、津波の浸水域から外れた場所に家を再建しました。

3人の子供は家を離れて、今は重子さんと2人暮らしです。