沖縄戦から80年が経ちました。沖縄の80歳以上は、人口の7%です。日本全体でも90%が戦後生まれになり、近い将来、戦後世代しかいない沖縄がやってきます。【戦後80年 #あなたの623】は、胸の奥にしまい込んできた辛い記憶。家族のなかで避けてきた戦争の話題。今しか話せない大切なこと。今だから話せる戦争のことを聞いていく、シリーズ企画です。
今回は90年代生まれの若者が沖縄に関するコラムをつづる「あなたの沖縄」プロジェクトの発起人西由良さんです。

戦没者の名前が刻まれた刻銘版に静かに手を合わせる西由良さん。西さんは今年、初めて渡嘉敷島での慰霊祭に参加しました。
▼西由良さん「楽しい思い出もたくさんあるんですけど、おばぁちゃんの話で聞いてきた集団自決も起こった島なので色んな思いがある島です」
那覇市出身で東京で会社員として働く西さん。4年前、1990年代生まれの若者たちが沖縄に関するコラムを綴る「あなたの沖縄」プロジェクトを立ち上げました。50人の執筆者がWEB上で毎週コラムを投稿しているほか、トークショーや読書会なども企画。沖縄戦に関する話題も多く発信しています。

西由良さん「このミラーのある角を右に曲がるとすぐおばぁちゃん家です」
渡嘉敷島の祖母が暮らしていた実家を訪れた西さん。幼い頃、島を訪れるといつも笑顔で出迎えてくれたといいます。
▼西由良さん「歌ったり踊ったりニコニコして優しかったイメージです」

現在は島を離れ、沖縄本島で暮らす祖母・玲子さん。80年前に島で起きた「集団自決」の場を逃げ出し、命をつなぎました。
▼西由良さん「玉砕します。死にますとなったときに隣にいた叔母が当時12歳のおばぁちゃんに“玲ちゃんあの世に行っても元気に学校にいくんだよ”と言われて。おばぁちゃんはその言葉聞いて怒って“あの世に学校なんてあるか”と大人を振り切った」

認知症が進み今は戦争を語ることが難しくなっている祖母が数年前に生き残った苦しみを語ったことがあったといいます。
▼西由良さん「私とおばぁちゃん2人きりのときに、“なんで私は生き残ったのかね”と言っていて。70年とか何十年経っても生き残ってよかった生きててよかったって思えてないんだなと思って。そんな思いをさせる戦争ってなんだろうとか。高校生くらいのときから話してくれたことを受け取って。大切なものを受け取ったんだなとその時思った」

――戦後80年、改めて今思うことは?
▼西由良さん「どんどん遠くなっていくような沖縄戦のこと集団自決のことをどうにか自分の世代でつなぎ留めて改めて沖縄戦で何があったのか、今って本当に当時の空気感になっていないか、もっと戦争とか平和について考える年にしたい」
悲惨な記憶をつなぐ「平和のバトン」。西さんは、沖縄戦や渡嘉敷島の悲劇を伝え続けます。
