
指導者として新たなスタートを切る東京五輪の銅メダリスト、レスリングの屋比久翔平さん。
▼屋比久翔平さん「シンプルに楽しいというのと、あとは大学のトップの選手とは練習するのとは全然違う刺激というか、動きも違うし高校生たちの考え方とかそういうのも違うので面白いっすね」
去年12月に現役を引退し、沖縄に帰郷。先月母校の浦添工業で高校生たちの指導に当たっていました。
▼浦添工業レスリング部員「反応することの意識だったり動きの細かいところがわかりやすく教えてくれるので、自分の成長に大きく関わると思います。自分も世界で戦えるような選手になりたいと強く思いました」

4年前の東京五輪。県勢レスリング界初のオリンピアンとなった屋比久さん。父、保さんとともに世界を目指したレスリング人生。鍛えあげたパワーと技術で銅メダルを獲得しました。しかし世界との勝負は、体に大きな負荷をかける表裏一体の戦いでした。
――東京五輪の時から痛みはあった?
▼屋比久翔平さん「痛みというより力の入りずらさが顕著に出ていて、ごまかしてはいたものの、くなっていく一方だったので、その症状が大きくなっていった」
▼父 保さん「けがした時は何も言わないんですよ。東京五輪が終わって握力が70ぐらいあったのが10ぐらいになった。これが最初の手術で、手術が終わって少し回復はしたんですけど今度は下半身のしびれがあって原因がわからない」
診断は「コンパートメント症候群」。鍛えぬいた筋肉が膨張し血管や神経などを圧迫、下半身の痛みとなっていました。その前にも首のヘルニアで握力が急激に落ちるなど、けがとの闘いが続いた屋比久さん。
▼屋比久翔平さん「手術する前ぐらいからもう厳しいかなって言うのは薄々感じながら、でもまだやりたいっていうのも心の中で残しつつ、中途半端な時間を過ごしていた記憶がありますね」
2023年6月、明治杯全日本選抜選手権。後にパリ五輪で金メダルを獲得する日体大の後輩、日下尚に敗北。オリンピックの道はついえても、競技続行を模索し続けますが…。
▼屋比久翔平さん「高いレベルでの練習ができない、自分で動こうと思ってもできないし、それと同時に高いレベルの練習をやりぬこうっていう気持ちというか、そういうのも段々妥協するじゃないですけど、その強い何かに向けての強い目標であったり決意っていうのがなかなか生まれないというか。自分の中で作れないのが、もどかしいというか。なんだろう、もたなかったっすね気持ちが」
