「いつもガキ大将を追っ払ってくれた」頼りになる姉

広島県廿日市市に住む久夫さん。利子さんの遺影がある自宅の仏壇には、毎日手を合わせています。3つ年上だった利子さんは、頼りになる姉だったといいます。
大本久夫さん(2021年取材)
「私がどちらかというと、気の弱いほうで、よう泣かされていたんですよね。そんときにいつも姉が助けてくれよったんですよ。悪いガキ大将を追っ払うのは姉じゃったですからね」
頼もしい利子さんは、髪にパーマをかけて、おしゃれ好きでした。しかし、1945年8月6日─。その生活は一変します。
利子さんは、建物疎開の現場へ向かう途中、爆心地から約1.7キロの比治山橋(現・広島市南区)で被爆しました。

久夫さんは、帰ってこない利子さんを心配して父親たちと一緒に、市内を探し回りました。数日後、横たわっている重傷者たちの中から、利子さんを見つけました。
大本久夫さん(2021年取材)
「名前が書いてあるのもあった。『としこ』というのがあって、『お姉ちゃん、としこ姉ちゃん』って言うたら、かすかに、かすかに首をふった気がしたんですよ」
全身大やけどで、顔は腫れあがり、髪の毛も無くなっていました。