鹿児島県奄美大島から沖縄県の石垣島にかけてアメリカ軍の空襲を受けた10・10空襲(じゅう じゅうくうしゅう)から10日で78年が経ちます。
日本軍が南西諸島の防衛力強化を掲げ、沖縄に軍事施設を建設している最中の攻撃。日本軍はなすすべもありませんでした。なぜ沖縄が狙われたのか。当時を知る女性の話や当時の資料などから10・10空襲について考えます
照屋苗子(てるや なえこ)さん86才。1944年、当時8歳だった照屋さんは、那覇市首里にある自宅から小学校に向かう途中、普段とは違う空の様子に気づきました。

照屋苗子さん
「空を見たら飛行機が沢山。編隊飛行で飛んでいるのが見えたのよ。最初は日本軍、友軍の飛行機だと思った」
照屋さんが日本軍の演習だと思っていた飛行機はアメリカ軍の戦闘機でした。地上戦が始まるおよそ5か月前の10月10日。アメリカ軍は空から沖縄を攻撃しました。
照屋苗子さん
「那覇の方を見たら火がいっぱいやっているから大変だと、燃えていると」

未明から夕方にかけて、断続的に続いた空襲。家族と共に北部に身を隠していた照屋さんが、その後目にしたのは変わり果てた那覇の姿でした。
照屋苗子さん
「全部燃えてなにもなかったよ。今はきれいな建物いっぱいあるでしょ、もう全くなにもないわけよ。これは戦争が始まるのかなという感じ、自分たちも、首里もやられるのかなと思いました」
戦況を知らされていなかった住民が初めて戦争の恐ろしさを感じた10・10空襲。およそ9時間にわたったアメリカ軍の攻撃は、各地に甚大な被害を与え、およそ600人余りが犠牲になりました。特に被害の大きかった那覇はその9割が焼失。

地上戦の5か月も前になぜ、沖縄が狙われたのか。アメリカ軍の作戦報告書には「沖縄への空襲で 日本軍の軍事施設に最大のダメージを」と記されています。