被爆漫画家として知られる西山進さんが、6日午前、福岡市内の病院で心不全のため亡くなりました。94才でした。

西山進さん。17歳の時爆心地からおよそ3.5キロの三菱長崎造船所で被爆。
翌日、救援隊として爆心地に入り、人の姿を無くした、たくさんの遺体を目の当たりにしました。

(被爆者・西山進さん)
「戦争と原爆、長崎。僕の頭の中にはそれしかないもんだから」
戦後は倦怠感に襲われる「原爆ぶらぶら病」を発症。
貧困と孤独の中、炭鉱で働き生き抜きました。

原爆の絵を描くようになったのは被爆から28年後、
当時、目にした惨状を全長8mに及ぶ絵巻に描き残したほか、1979年からは日本被団協の月刊誌に4コマ漫画「おり鶴さん」の連載をスタートさせ、ユーモアと風刺を交えながら反戦・反核を訴えました。


41年・500回続いた「おり鶴さん」はことしの夏、有志の手で単行本として出版されました。
西山さんは6日午前、入院していた福岡市内の病院で息を引き取りました。
通夜・告別式は未定だということです。