「10・10空襲」 写真:沖縄県公文書館所蔵

▼仲田幸子さん(92)
「爆弾がボンボン落ちて、パラパラパラと壕の中にも入ってきて。壕は深く掘られているから、そのずっと奥に入って隠れた。戦争というのを子どもながらも怖いと感じた」「壕の中に隠れて “助けてください” と言って、皆で手を合わせた」

燃え上がる炎の中を逃げまどった恐怖は、心に長く、深く刻まれています。

「戦争が終わっても、飛行機が飛ぶと、隠れた。壕の中から見ていた。戦争は終わっているけど、 “爆弾を落とされないかな” と思いながら隠れていた」

壕に隠れた記憶を語る仲田さん



仲田さんは、10・10空襲の後やんばるへ避難し、その後、米軍の捕虜となりました。

――日本の敗戦を知った時はどう感じた?

「(日本が)負けたと聞いた時は、やったー、って。もう戦争が終わるんだと。ほっとした。もう、何も隠れることはないんだなって」

仲田さんが過ごした収容所では、好きだった沖縄芝居が上演されていました。

「(収容所の芝居を)うんと見た。捕虜にされているから、皆めいめい(各々)呼んで、行った。 “あぁ、こんな風に芝居をやっているんだ” と。そのとき、劇団に入りたいと思った」「(観客は)よかったよかったと、面白そうに手を打って笑っていた。捕虜になったけど終戦後だから、寄り集まりがいっぱいいて、心癒やされて、楽しい思いで過ごした」

収容所で上演された芝居(提供:1フィート運動の会)


戦後、本格的に舞台役者の道に進んだ仲田さん。およそ70年、休むことなく表舞台に立ち続けてきました。

「(観客は)戦争を乗り越えてきた人たち。見る人も聞く人も、全部(戦争を)乗り越えてきた人だから、一緒に乗り越えて、戦争を乗り越えてきた人たちが見ているから。 “えらいなぁ” と思った。そのとき私も、やって良かったと感じた」