長年、核兵器廃絶に向けた運動を続けてきた日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会が12月、ノルウェーの首都・オスロでノーベル平和賞を受賞しました。授賞式に出席した仙台在住の被爆者・木村緋紗子さんが22日、市内で報告会を開き、「受賞は二度とない幸せだった」と話しました。

12月オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式に出席した仙台在住の被爆者・木村緋紗子さん(87)。22日、帰国後初めての報告会を開き、駆け付けたおよそ100人に「みなさんの顔が思い浮かんだ」と話しました。

日本被団協代表理事 木村緋紗子さん:
「先人たちと一緒に戦った草の根運動と、私の目の前の皆さんの顔が浮かんできた。一生懸命私たちと一緒に頑張ってくれている仲間たち、本当にありがとうございます」

木村さんが代表理事を務める日本被団協は、核兵器廃絶に向けた長年の活動が評価され、12月ノルウェーの首都・オスロでノーベル平和賞を受賞しました。

日本被団協 田中煕巳代表委員:
「核兵器は1発たりとも持ってはいけないというのが、原爆被害者の心からの願い。人類が核兵器で自滅することのないよう、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう」

1945年8月6日、アメリカ軍が広島に投下した原爆で父や祖父らあわせて8人を亡くした木村さん。特別な思いで授賞式を見届けました。

ノーベル平和賞受賞後の木村さん:
「メダルをもらって、皆さんが受け取ってくれた時に、すごいなって。やっぱり『今まで生きていてよかった』と」

日本では、非核三原則を提唱し1974年に受賞した佐藤栄作元総理以来50年ぶりの快挙となりました。木村さんはノーベル平和賞の受賞を振り返り、「二度とない幸せだった」と話しました。

日本被団協代表理事 木村緋紗子さん:
「ノーベル平和賞を受賞して、二度とない幸せを感じたひと時だった。皆さんご支援ありがとうございました。これからが本当のスタートだと、私の最後にやることではないかと思っている」

来場者:
「核兵器をなくしていかなければならないと思う。(受賞は)その第一歩に」
「日本国民だけでなく、世界の人たちもこういう話を聞いて考えを改めてほしい」

木村さんは今後の活動に決意を新たにしていました。

日本被団協代表理事 木村緋紗子さん:
「やはり核兵器廃絶ということしかない。それと戦争はやめましょうということ。やはり私たちはそういう目にあった(被爆した)人間として伝えていかなければならない」