イチローがメジャー挑戦した2001年に産まれ“一郎”と命名
パラグアイ人の父、日本人の母を持つ谷井が産まれたのは、2001年。イチローさんがマリナーズでメジャーデビューを果たした年だ。父の母国・パラグアイでは親戚が命名する風習があり、10歳ほど年上の野球好きだった従兄弟から“一郎”と名付けられた。野球を始めたのもその従兄弟がきっかけだった。野球チームに入っていた従兄弟の影響で幼稚園から野球を始めると、瞬く間にのめり込んだ。ポジションは始めた頃から投手一筋。イチローさんに憧れはあったというが、投げることが何より楽しかった。小学6年の時は3番で投手を務め、キャプテン。そんな一郎が描く未来は、幼い頃から今まで変わらず「プロ野球選手」だという。
しかし、その夢は「現実性のあるものではなかった」と谷井は振り返る。中学時代は福生シニア(東京)でプレー。ここで野球人生初の挫折を味わうことになる。同期が50人以上もいるチーム内の競争に勝てず、公式戦は1年生の大会に数試合出場しただけ。2年生からは1度も公式戦に出場できなかった。
高校は都立武蔵村山へ進学。背番号1で臨んだ高校3年時の夏の西東京大会は都立調布南に敗れ、初戦敗退だった。プロ野球選手になるという夢のは遠のいたように思われた。
メジャーリーガー4投手の“いいとこ取り”のフォーム

足を大きく跳ね上げるのはメジャー最多5714奪三振を誇るノーラン・ライアン。骨盤を二塁方向に捻じるのは2020年のセーブ王、ジョシュ・ヘイダー(パドレス)。トップの位置は最速160キロの剛腕、タイラー・グラスノー(レイズ)。そして胸の使い方は人類最速男、ヤンキースのチャップマン。この4投手の投げ方を取り入れた独自の投球フォームを習得した。
さらに食事も栄養面を考え朝昼晩、3食とも自炊。ランニングやウエイトトレーニングも精力的に行い身体作りを基礎から見直した結果、高校3年時は147キロだった球速が大学3年の秋には159キロを計測するまでになった。
社会人野球の大昭和製紙やローソンなどで監督を務め、明星大学では巨人・松原聖弥らを育てた浜井澒丈監督は「バッターに対して威圧感を与えるボールを投げる。速いだけでなく芯に当たってもボールを前に飛ばさない球威や伸びもある」と評価。無名の高校生が才能を開花させ、スカウトからも注目される存在へと成長を遂げた。
幼いころからの夢は叶うのか!?プロ野球ドラフト会議は10月20日。運命の日は刻一刻と迫っている。
■谷井一郎プロフィール
2001年2月5日生まれ、東京都出身。181cm・84kg、右投げ左打ち
幼稚園の頃野球を始める。小学校は松中小ファイターズ(東京・立川市)、中学時代は福生シニアに所属し高校は都立武蔵村山へ。2年秋から背番号1を背負う。球種はストレート、2種類のカーブ、カットボール、フォーク。対戦したい打者はソフトバンクの柳田悠岐。憧れの選手はチャップマン、ジョーダン・ヒックス、マーク・クルーン。尊敬している人はラッパーのニプシー・ハッスル。好きな食べ物は母が作るパラグアイ料理のソパ(コーンケーキのようなもの)。