17日、阪神・淡路大震災の発生から30年となりました。
日本はそれ以後、東日本大震災をはじめ、多くの震災に見舞われました。こうした震災から、私たちは何を学んだのでしょうか。
阪神・淡路大震災がもたらした「災害関連死」とは…?

ヘリからのリポート
「一面、炎です。焼け野原になっています」
あれから30年。

炎に包まれた商店街。焼け野原となった住宅街も、震災の面影はほとんど見られません。

当時、キリスト像を残して全焼した教会の神父は…

カトリックたかとり教会 神田裕 神父
「あの日の出来事っていうのは忘れないし、長い時間が経ったけど、昨日のことのよう」
17日、6千人以上の人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から30年を迎えました。
神戸・東灘区で被災(60代)
「タンスとタンスが、がちゃんとなって、その下に寝てたので。助かったというか」

灯籠でかたどられたのは「よりそう」の文字。
ほかの被災地と共に歩んでいこう、との思いが込められています。
前日、この会場を訪れたのは、神戸市に住む妹尾栄治(せのお・えいじ)さん。
父親の自宅が全壊したものの、幸い大きなけがはありませんでした。
ところが、父親・豊さんは、避難先で身体に変調をきたし、震災から10日後、呼吸不全で息を引き取ったのです。

妹尾さん
「『震災関連死』…(父は)そのような最終段階は考えていなかっただろうと。その面で本当に無念だったと思う」
災害がもたらす「関連死」。
こうした言葉が生まれたのが、30年前の阪神淡路大震災でした。

この震災では、犠牲者の約8割が建物の倒壊などによる窒息死や圧死。
一方でこうした「直接死」ではなく、その後の避難生活などでの疲労やストレスから体調を崩して亡くなるケースが相次ぎます。
当時、神戸市・長田区で、被災者の診察にあたった上田医師は、倒壊などによるけがは免れても、身を寄せた避難所で命を落とす人が多いことに気づき、「災害関連死」という考え方を提唱しました。

神戸協同病院 上田耕蔵 院長
「最初の1日2日3日はけが人がたくさん来たけど、それと入れ替わる形で内科の病気の方が増えていた。これはえらいことが起こっているなと」
病院には、ぜんそくや心筋梗塞などを避難先で発症した高齢者が次々入院。インフルエンザに伴う肺炎にかかる患者も多く、震災発生から2か月で18人が死亡したといいます。

この当時、兵庫県内に設置された避難所は多い時で、1153か所。ピーク時の避難者数は31万人を超えました。
避難所となった体育館は、杖をつく場所さえ探しながら歩かなければならず、プライバシーも確保されていませんでした。
また、避難所のトイレを使うのをためらい、水を飲まずに脱水症状を起こす高齢者も多くいました。
こうした過酷な状況のなか、921人が「災害関連死」とされました。
そしてこの震災以降も、同じ悲劇は繰り返されたのです。














