田中角栄の「決断力」
決断に踏み切った背景に、アメリカの政策転換がありました。
中国に敵視政策をとってきたアメリカ。しかし、中国のソ連との関係悪化を機に1972年2月、ニクソン大統領がアメリカの大統領として初めて中国を訪問したのです。中国市場を巡る主導権争いの始まりでした。
(小長啓一さん)
「アメリカに遅れをとるわけにはいかないと決断した」
(小林)
「中国と国交を正常化することは、台湾=中華民国と断絶する、ということになります。なぜこの決断ができたのでしょうか」
(小長さん)
「田中さんは、台湾のことも考えなければいけないと思っていた。そこで、自民党副総裁の椎名さんを特使にして自分が訪中する前と後、台湾に行ってもらって、日本の立場を説明し了解をとる。結果的には了解はとれなかったが儀礼としてはそうした」
「決定的に、中国と台湾とが戦闘状態になるということにはならず、平和的共存が今日まで続いている。まかり間違うと戦闘状態になる可能性もあったが未然に防ぐことができた。日本が中国と手を結ぶ。しかし台湾にも配慮しながら。アメリカも同様のことをしたことで、戦争にはならないムードができておった」
「田中さんも周恩来さんと4日間、話をしている。その時に田中さんが『蒋介石総統のことを、あなたはどう思いますか』と周恩来さんに聞いている。周恩来さんは、『蒋介石は尊敬できる人物です』と。そのやりとりで、『中国大陸も台湾に対して戦争的なことをやるという雰囲気ではないな』と敏感に察知したんです」
(小林)
「周恩来さんのその言葉は、田中さんだからこそ引き出せたのでしょうか」
(小長さん)
「田中さんの人間力ですね」
