50年前の1974年、前の年のオイルショックによる混乱で経済成長率が落ち込み、戦後初めてのマイナス成長を記録。そんな中、ポプラは12月2日の午後4時、広島市中区の流川地区で「ナイトショップ・ポプラ」という名前で第1号店をオープンしました。業界トップのセブンイレブン日本1号店オープンの7か月後のことです。

記者レポート
「ポプラ薬研堀店ですね、入ってみましょう…惣菜が」

客「夜中まで空いていて、安く手に入るしさ、いろんなもんが揃うでしょ」
「(いつも利用する?)たまにね。やっぱり便利でしょここは(ホステスさんの仲間も利用する?)ほとんどそうじゃないですか」

1978年3月 ポプラ 目黒俊治さん (当時 社長)
「(子供用パンツ…ずいぶん変わったものが…)女性用のパンツなんですよ。便利さだろうと思うんですけども、帰りにちょっと、というお客さんがですね、ほとんど9割型、固定のお客さんですね」

ポプラ 目黒俊治 会長
「こっちが入り口、2階は控え室。(これは当時のロゴ?)デザインしてもらった。結構、お金だして作ったんです」

ポプラの創業者である目黒俊治会長に話を聞きました。

小林康秀 アナウンサー
「50周年、おめでとうございます」
ポプラ 目黒俊治 会長
「ありがとうございます。(どんな気持ち?)長かったような短かったような。(もともとは何のお店?)親が経営するおつまみのお店、お酒のおつまみを業務用で飲み屋さんにもっていく…」

目黒さんは、店を継いだ後、すでにあったアメリカの24時間スーパーにヒントを得てポプラを立ち上げました。

ポプラ 目黒俊治 会長
「流川は夜の町ですから八丁堀いづみが閉めてから、ポプラが開いて。いづみが開くときには、ポプラを閉めていた。いづみの商品台帳を見てAランク(一番売れる)商品を選んで、店に並べた」

当時の営業時間は、スーパーマーケットが営業していない午後4時から午前3時まででした。目黒会長に、当時の映像を見てもらいました。

ポプラ 目黒俊治 会長
「懐かしい。レジの下が弁当売り場でした。レジの中で、ご飯炊いてました。後ろで閉めて渡して(便利がいいわけですね?)お客様第一が社是ですから」