今回、取材を行ったのはこの人…宮沢和史(みやざわ かずふみ)。THE BOOMのボーカリストとして、シンガーソングラーターとして、数々の名曲を世に送り出してきた。

中でも1993年に発売された「島唄」は150万枚もの大ヒットとなった。

宮沢和史さん
「僕みたいに沖縄戦のことをろくに知らない若者が当時は多かったものですから、そういう人間に伝えたい。音楽で伝えたい。ただ、それをぼくがやっていいのかと。沖縄の人がほんとはやるべきだろうし。僕がやっていいのかと」
 
宮沢の葛藤とは何だったのか―

少年時代、宮沢はある曲と運命的な出会いを果たした。
喜納昌吉の「ハイサイおじさん」。1977年発売。アルバム「喜納昌吉&チャンプルーズ」に収録されている曲だ。

(歌)
「ハイサイ おじさん!ハイサイ おじさん」

宮沢和史さん
「まったく異質なものが急に自分の日常に入り込んできた。それが『ハイサイおじさん』のすごいインパクトで。耳に入り込んだら離れないというか、こびりつくというか」

『ハイサイおじさん』をきっかけに、沖縄の音楽に惹かれていった宮沢。とくに泥臭い、潮の香りがする民謡に心を奪われたという。

宮沢和史さん
「三線を生で聞いてみたいなとか、なんだこの美しい音と。ものすごい惹かれましたね。リズムにも惹かれたし。それで沖縄にとにかく行ってみたいと」

それから宮沢は、沖縄へ何度も足を運んだ。そして沖縄の悲しみと向き合うことになる。

ひめゆり平和祈念資料館。戦場へと駆り出されたひめゆり学徒の体験を語り継ぎ、平和の尊さを学べる場所です。宮沢は幾度もここを訪れた。

宮沢和史さん
「4人に一人が亡くなったこと。集団自決ということがあったと。鉄の暴風という地形が変わるほど弾が撃ち込まれ、今でも不発弾がたくさん見つかり、戦没者の骨が見つかるような状況であることというのを全く知らなかったですね。自分が情けなくなったし、恥ずかしかったし」