◆嫌な予感が的中 企業担当者「かなり頑張ったのですが・・・」

テスト栽培で収穫したオクラ 色も形も味もいい

種まきが終了し、水を飲みながら一息ついたところで、私は企業の担当者に「1キロ当たりどれくらいで買い取れることになりそうですか?」と尋ねた。この段階まで買取価格を詰めていないということが、後から考えれば異常なことなのだが、はっきりと質問したのはこの時が初めてだった。

「かなり頑張ったのですが・・・・」担当者が口にした価格は、地元市場での買取価格の半額以下だった。

聞き間違いではないかと確認したが、担当者からは会社としてこの価格が限界なのだとはっきりと告げられた。目の前が真っ暗になった。

嫌な予感はあった。担当者は事あるごとに、「会社としてはすでにかなり先行投資している状況なので・・・」と口にしていて、企業の中でこの事業に厳しい目が向けられていることが感じられた。オクラをバンコクまで輸送する手段についても、継続的にこの事業を行うつもりであれば定期便のような形でルートを構築してしまった方が効率的なのに、なかなかそのように動いてくれなかった。そのほかにも、担当者との会話の節々から、企業としてこの事業に前向きではない様子を感じてはいた。だが、それもすべて一度成功事例が作れれば変えることができる、オクラの栽培が成功すれば、その問題も解決できるのだ、そう私は思い込んでいた。

企業としては、提示した買取価格は正当なものだった。ベビーコーンの栽培を始めた時期も合わせると半年以上の間、まったく利益が出ない中で、現地の避難民に野菜の種や農薬を無償で提供してきた。担当者も何度も現地に足を運んでくれていたが、その人件費も企業が負担してきたわけで、「すでにかなり先行投資している」というのは事実だった。そのことは私も認識していたが、事業のそもそものスタートがクーデター後の混乱に苦しむミャンマーの人々への「支援」である、という大義名分に甘えて、企業側のビジネスの理屈をないがしろにしてしまっていたのだ。

オクラの買取価格の低さよりも、自分の考えの甘さ、浅はかさがショックだった。

◆宿題残したまま、日本に一時帰国

気が重いまま、日本への一時帰国

実は、私はこの日のうちにバンコクに戻り一旦日本に帰国しなければならない事情があった。企業の担当者も次の予定があるとのことで、現地を離れた。企業側と今後の方針について話し合う時間が取れなかったこともあるが、この状況をアインにどう説明すればいいのか、考えがまとまらず、詳細を伝えられないまま皆に別れを告げた。アインは、私と担当者との会話の様子から、なんとなくトラブルのにおいを感じ取ったような顔をしていたが、最後はいつものように「また会いましょう」と笑った。

オクラの収穫が始まるまで、待ち遠しいはずの時間は、私のとっては果てしなく重い宿題の提出期限となってしまった。ようやく光が見えたと思った事業の行方は、まったく先が見えない振出しの状態に戻ってしまったようだった。
(エピソード8に続く)

*本エピソードは第7話です。
ほかのエピソードは以下のリンクからご覧頂けます。

#1 川を挟んだ目の前はミャンマー~軍の横暴を”許さない”戦い続ける人々の記録
#2 野良犬を拾って育てる避難民
#3 農園の候補地を下見 タイ人の地主に不審者と間違われる
#4 治安の悪化のニュース そして深夜に窓を叩く音 恐る恐る外を覗くと・・・
#5 オクラを作ろう!ようやく動き出した事業
#6 アインの妻が妊娠 生まれてくる子供の未来は
#7 オクラの栽培がスタート しかし”目の前が真っ暗”に…支援とビジネスを両立する難しさ
#8 協力企業の撤退で振出しに戻った事業~日本にいる間に考えたこと
#9 違和感ぬぐえぬ、福岡市動物園ゾウの受け入れ
#10 農園での結婚式~困難の中にあってもそれぞれの人生を生き抜く人々

◆連載:「国境通信」川のむこうはミャンマー~軍と戦い続ける人々の記録

2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターを実行し民主派の政権幹部を軒並み拘束した。軍は、抗議デモを行った国民に容赦なく銃口を向けた。都市部の民主派勢力は武力で制圧され、主戦場を少数民族の支配地域である辺境地帯へと移していった。そんな民主派勢力の中には、国境を越えて隣国のタイに逃れ、抵抗活動を続けている人々も多い。同じく国軍と対立する少数民族武装勢力とも連携して国際社会に情報発信し、理解と協力を呼びかけている。クーデターから3年以上が経過した現在も、彼らは国軍の支配を終わらせるための戦いを続けている。タイ北西部のミャンマー国境地帯で支援を続ける元放送局の記者が、戦う避難民の日常を「国境通信」として記録する。

筆者:大平弘毅