藤井整という名前の人物、日本国内ではほとんど知られていません。
しかし、アメリカでは日系人の人権問題の解決に尽力した人物として知られています。120年前に山口県岩国市周東町からアメリカに渡った藤井整。その知られざる功績は多様性を尊重する今につながっています。
「反逆者の嘆き」。
藤井整の生涯を紹介するこの本は2021年、アメリカで出版され、カリフォルニアブックアワードで金賞を受賞しました。

出版したのは映画監督のジェフリー・チンさん。藤井整の歴史を掘り起こした日系3世の女性とともに、10年以上藤井整を追いかけてきました。
ジェフリー・G・チン監督:
「アジア系アメリカ人の歴史について学ぶ機会があり、歴史保存フォーラムに参加したことで藤井整さんに関する調査が始まりました。そこで、1918年のスペイン風邪の流行を受け、自分のコミュニティのための病院の建設を手伝った公民権運動のリーダーのことを知ったのです」
自身も中国系アメリカ人で祖父が、移民のための活動に携わっていたというチンさん。藤井整の生き方に感銘を受け、10年前アメリカでの整をテーマに短編映画を製作しました。
藤井整が20歳でアメリカに渡った1900年代初頭、日系1世は病院で正当な治療を受けることが許されず、土地を購入することもできないという差別にさらされていました。そんな差別的な制度から日系人を解放しようと整は弁護士を目指して大学で法律を勉強しました。しかし当時の日本人はアメリカ国籍を得ることができなかったため、弁護士の資格試験さえ受けられませんでした。逆境のなか、白人弁護士とともに日系人が病院建設の土地を取得する権利を訴え、1928年、裁判に勝って日系人のための病院を建てることができたのです。
藤井整は1882年、岩国市周東町に生まれました。今は孫の秋山光恵さんと夫の信行さんが暮らしています。整は光恵さんが11歳のときにアメリカで亡くなりました。
光恵さんは一度も祖父に会ったことはなかったといいます。
藤井整の孫・秋山光恵さん(78):
「おじいちゃんと孫っていう全然そりゃ面識はないけど、一生懸命働いてるアメリカでって人のためとか。アメリカでどういうふうなね祖父が働きをしてるかって幼いからピンとこない」
整は29歳で妻や子とともに1度日本に帰国します。しかしカリフォルニア州でアメリカ国籍を持たない外国人は土地を買うことができない「外国人土地法」が可決され、整は家族を置いて、再びロサンゼルスへ向かいました。日系人のための新聞社を設立し、ペンの力でも社会に立ち向かいますが、正義感が強く歯に衣着せぬ整に対して反発する人もいたことが、映画でも描かれています。
秋山さん:
「祖父って正義感は圧倒的に強かったんだなっていうことをね思いますね。自分の家庭を置いても捨ててまでアメリカにやることがあるっていうんでね渡米するでしょ。再渡米して…ほんとに家族を置いてまでね」
整から光恵さんの母に送られてきた手紙は残っていません。しかし、送金してくる手紙の中でいつも家族を気遣っていたことは光恵さんの記憶に刻まれています。
秋山さん:
「常に、おじいちゃんはちょっといろいろ帰ることが出来ないっていうことが書いてあって帰りたいけど今やることがあるって。どうしても帰ることができないっていうことは手紙の中に書いてありました」
戦後、1952年、整は40年の歳月を費やして外国人土地法の撤廃を勝ち取りました。
今年7月、監督のチンさんを招いて、リトルトーキョーリポーターが岩国市で上映されました。
鑑賞した人:
「隣の玖珂町に住んでるんですけど、藤井整を全然知らなくって。すごく誇りですね」
光恵さんも映画を鑑賞しました。
秋山光恵さん:
「ジーンとくるものがあって祖父と重ね合わせてね。なんか涙が出そう」
新型コロナの流行をきっかけにアジア系民族への偏見や差別が再びクローズアップされました。アメリカでは、アジア系の人たちがヘイトクライムの標的になる事件が相次ぎました。「今だからこそ彼の名前と功績を多くの人たちに伝え、彼から学ぶ意味がある」とチンさんは言います。
ジェフリー・G・チン監督:
「彼は弁護士資格は与えられなかったがそれでも志を貫きました。組合やあらゆるもののために闘いました。多くのアジア系アメリカ人が、歴史上の公民権について考えるとき、1970年代以前にも公民権運動のリーダーがいたことを知ってもらうのは私たちが尊敬できるロールモデルを見つけるために極めて重要なことなのです」
整は1954年にアメリカ国籍を手にしましたが、その年の12月、72歳で亡くなりました。市民権を得て生きたのはわずか51日間でした。そしてカリフォルニア州最高裁判所に弁護士資格が認められたのは2017年、死後63年たっていました。
整が亡くなったあと、日本の家族が葬式を出せるよう彼の髪の毛が日本に送られました。整は、生まれた家の裏にある墓地に眠っています。
100年以上前、揺るぎない正義感を持って差別に抗議の叫びを上げた藤井整。1世紀を経た今、あらためてその功績に光が当たろうとしています。