兵庫県知事を巡るさまざまな問題は、ニュースにならない日がないほど。「告発文は噓八百」と言っていたのが、次々に「ホントじゃないか」とボロが出て、いよいよ四面楚歌だ。県議会が近く不信任決議をする方向となっているが、9月13日にRKBラジオ『立川生志 金サイト』に出演した、元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんは「知事の座を追われて終わり、にしてはいけない」と語った。

兵庫県はまるで国の“直轄地”だった

まるで「斎藤劇場」の様相で、次々にその主張はボロが出て、「4人組」と言われた側近も、知事選で応援した議員たちも離れて、解職の瀬戸際に追い込まれてなお、非を認めず辞めもしない――私たちはそのリアルな人間ドラマを同時進行で見ているわけですから、そりゃあ耳目を集めますよね。フィクションを超えたノンフィクションドラマですから。

ただ、今日はまず、そのドラマから離れて、舞台となった「県庁」という組織、もっというと、お役所という所の特性を、あくまで一般論ではありますが、事案の背景の一つとしてお話ししたいと思います。

私は記者当時、県政担当を計4年務め、3回の知事選を取材しました。だから、どこの県の話というのでなく、その経験と兵庫県を重ね合わせての見方です。

一つは兵庫県知事の歴史です。斎藤知事の前の井戸敏三氏まで、兵庫県の知事は実に4代、59年にわたって、地方行政をつかさどる旧内務省・自治省出身の副知事が後継指名されて次の知事になっています。見方によっては、国の“直轄地”。しかもうち3人は4期以上の長期政権で、直前の2代は議会もほぼオール与党でした。

これは、県民にとってどうかは別に、職員にとっては行政的にとても安定した政権なんですね。ナンバー2への禅譲なら、政策は基本的に「継続」ですし、職員の評価軸もぶれません。なにせ、前の知事が引き立てた幹部がそのまま残り、その幹部たちが評価する職員が次の幹部になっていくわけですから、仕事の仕方も迷わずに済むわけです。それが兵庫では半世紀以上続いてきました。

保守分裂選挙で県職員は動揺

ところが前回、2021年の知事選では、当時の知事が後継指名した総務省出身の副知事を自民党県連が担いだのに対し、これに反発した自民党県議11人が会派を割って斎藤氏に出馬を求め、斎藤氏が吉村知事のもとで大阪府の財政課長を務めていたことなどから日本維新の会もこれに乗って、保守分裂選挙になりました。

ちなみに自民党本部はこの時、当時の菅首相が維新との関係を重視したこともあって、斎藤氏を推薦しました。つまり自民党は、県連と党本部もねじれたわけです。

県庁職員がこの分裂選挙に動揺したであろうことは想像に難くありません。一つは“禅譲”が途絶えた場合、半世紀以上続いた行政の継続性が根底から崩れる恐れ。もう一つは、どちらが勝っても県議会にしこりが残り、議会対応が面倒になる――からです。

私もある県で、4期務めた知事が再選断念に追い込まれ、国会議員同士が闘った知事選を取材したことがありますが、この時の職員の動揺はかなりのものでした。どちらがより穏当か=つまりは変化が小さくて済むか、どちらが勝ちそうか、幹部たちは情報収集に必死でしたし、当選後は私にも「どんな人か」「誰と親しいか」など、しつこいくらい聞いてきました。戦々恐々と言える状況でした。

まして59年ぶりの兵庫県庁です。しかも維新による大阪での府政・市政の激変を知っていますから、斎藤氏当選の波紋は大きかったでしょう。逆に言うと、斎藤氏はそんな疑心暗鬼の中に一人降り立ったようなもので、それが「4人組」と言われるような側近を生む一因だったと思います。

初期の橋下氏や松井氏の大阪府政・市政と同様に前任者の行政を否定し、トップダウンによる見直しを急いだ結果、多くの職員にとって高圧的、独善的な知事ととらえられたでしょう。百条委員会が行った職員アンケート結果にもそれが表れています。

だからと言って、斎藤氏をかばうつもりは毛頭ありませんが、一般には理解しがたい斎藤知事の“居座り”を読み解くための、背景の一つとして振り返りました。職員2人の尊い命を失い、自己弁護すら破綻している今もなお「道義的責任が何かわからない」と言ってのける斎藤知事は「メンタルモンスター」とも呼ばれますが、彼の中には議会与党に対して「県政の変革を求めて、私を担(かつ)いだのはあなた方でしょう」という思いや、「私に投票した86万県民もそれを求めていた」という信念めいたものがあるのかもしれません。

でなければ、職にとどまり続けられないと思いますし、おとといの会見で初めて見せた涙は当選当時の議会に関する話の中でしたが、「私は何もぶれていない。変わったのはそっちだ」という悔しさからかもしれません。