
田島さんが描く作品の特徴は、型紙を使い、模様を染め上げていく、型絵染。
沖縄の紅型によく似た技法で、力強く描かれた絵の数々は、これまで国内外で高い評価を得ています。

絵本作家 田島征彦(たじま ゆきひこ)さん
「一番最初は西表にあった炭鉱を舞台にね原生林にガーっと突き出している、ものすごい迫力のある木を一生懸命スケッチしたんですよ。大自然の中に入り込んでいる実感みたいなものは感じたね。それが沖縄に魅せられた最初なんだけどね」

35年前、沖縄を舞台に初めて描いた作品、トントンミーとキジムナー。沖縄の自然をテーマに、木の精霊・キジムナーと少年の心温まる交流を描きました。しかし、何度も沖縄へと足を運ぶ中で沖縄が抱えている問題を体感する出来事がありました。

絵本作家、田島征彦さん
「名護に通ってたんで、当然那覇から名護まで通っている中には、基地がいっぱいあるよね。
キレイな海で、キレイな花が咲いて、というだけじゃなくて、そこにいる人たちがどんな不自由な生活をしているか、どんな危険なあの中で生活しているかということも、知らさなあかんということを考えて、なんか作らないかんなって思ったんですよね」


「沖縄県立芸大に、僕は時間講師で僕は10年ぐらい通ったことあるんですよね、その時に、学生に、鉄砲を持ったキジムナーを読んでやったんですよね。そしたらその学生たちが『沖縄にはこんなたくさん基地があるんですね』って、言われたんでびっくりした。沖縄に下宿しているのに、この絵本を僕が読むことで、初めて沖縄の基地のことを知ったというのはなんかビックリしたわけですよ、なお伝えなきゃいかんと思って」

【絵本の本文】
“ここは1945年の沖縄です”
ぼくの名前は、なかませいとく
国民学校の二年生になるのに
いつも泣いているので、僕はみんなから
「なちぶー」と呼ばれています
“4月になりました。
今日もアダンの茂みに隠れていると
見たこともないほど大勢のアメリカ兵が
海から上がってきました。
絵本作家 田島征彦(たじま ゆきひこ)さん
「こんな表紙でこんな苦労したのも初めてやね。僕自身が戦争体験をして、沖縄戦を体験してしまったようなね、その錯覚というかそういう実感があるのね。毎朝散歩しながら考えて、なんか、結局いつの間にか大きな声を、声出してるんよ、叫んでいるんよね」

5歳の頃。生まれ育った大阪堺市で、戦争を経験した田島さん。空襲で命からがら逃げ伸びた記憶も残っています。
もしもあの時、自分が沖縄にいたら―。
それは、今回の作品を描く中で常に考えていたテーマでした。

絵本作家 田島征彦(たじま ゆきひこ)さん
「このせいとくが変わっていくという、あの幼いながらね、人間が変わるということ、泣き虫の子が自分から変わるということ。沖縄じゃなくて本土の人たちがね、大変な戦争、子供たちが経験した二度とこんな経験を自分らの子供たちにさしちゃいかんという意識をね、
沖縄の持っている大きな問題をね、理解してもらいたいと思っています。」
悲惨な地上戦が行われた沖縄で、6歳の少年が感じ見つめたこと―。
戦後77年。あらためて田島さんは、沖縄戦の悲惨さを突き付け平和を願う心を問いました。

【絵本の文章】
“戦争が終わって、10年になります。
たくさんの軍事基地が、畑の上にできました。
沖縄が日本に戻ったら、こんなものはすぐになくしてしまうさぁ。
だって、戦争の苦しみを一番知っているのは、僕たちなんだから“














