寺の長女5歳だった寛子さん

絵を描いた被爆者の堤寛子さんは寺の長女で当時5歳。原爆が落とされた時は、寺の奥の岩穴にいました。

堤寛子さん:
「灰色みたいな…色がすごい爆風…すごかったですよ勢いが。爆風よりちょっとよけたために助かって。ここを避難場所にしていたから、お布団なんかおいてあった、それをかぶって…。時間がどれくらいしたかわからんけど、かぶったまま怖かったからおったんですよ」

被爆した時に堤さんがいた岩穴は今も残っています。堤さんと母・弟は無事でしたが、自宅の梁の下敷きとなった祖母のテイさんは亡くなりました。

堤寛子さん:
「私はおばあちゃん子だったから辛かったですよ、本当に辛かった…」

しばらくして岩穴から外へ出ると、堤さんの目の前には信じられない光景が広がっていました。

堤寛子さん:
「金比羅山が真っ赤に燃えるんじゃなくて、焼けてた。炎なんか見えてない、焼けてる、それが強烈でしたね」