戦時中「断りづらい立場の人が対象になったのでは」

大島の森さんの話では、子どもにも投与されていた、という証言がありました。
熊本の療養所でも6歳の子どもに虹波が使われたことがわかっています。

これについて原田学芸員は「効果がみこめないとなると多くの入所者が身を引く中、断りづらい立場の人たちが対象とされていったのでは」と話しています。

医師は入所者を死に追いやるためではなく、ハンセン病を治すためにさまざまな方面から研究をしていました。

しかし、当時の入所者は療養所の外での生活基盤や社会関係を国の政策で奪われ、医師に従順になるほかに暮らしてはいけず、人権が尊重されていたとは言い難いのも事実でした。

虹波に関する中間報告書は、菊池恵楓園歴史資料館のホームページで公開されています。

社会的な情勢の中で正しいと思われていることについて、個人が疑問を持っていたとしても反対の声をあげることができない、それが戦時中でした。

終戦の日に、改めて考えたいことです。