◆初の五輪でメダル2個獲得!
初めてのオリンピック出場。個人で銅、団体で銀と、見事メダリストになった北九州市出身の早田ひな。左腕の状態が万全ではない中、強い精神力でカバーした女子卓球のエースだ。夢舞台に立つまでの20年の道のり。その裏には、家族の支え、恩師の指導、そして本人の不断の努力と揺るがぬ決意があった。
◆姉と訪ねた地元の卓球クラブ
「平成17年1月 早田ひな」という名札が、今でも石田卓球Nプラス(北九州市八幡西区)に掛けられている。その名札を誇らしげに見つめるのが石田千栄子さん(72)。早田ひなさんが姉のすみれさんについてクラブを訪ねてきた4歳の時から指導している。
◆千栄子さんの不安とは?
オリンピック選手を育てるのがご主人との夢だったと話す千栄子さん。ひなさんを指導し始めたころは不安もあったようだ。 「今までのオリンピック選手を見ても、福原愛ちゃん、石川佳純ちゃん、伊藤美誠ちゃん、平野美宇ちゃん…みんなお母さんが卓球をやっている。でも、ひなは卓球環境の中になかった。スポーツもあまりやったことがなかったから、そういう環境の中で本当に育つのだろうかと半信半疑だった。」
◆強くなるためにひたむきな子
しかし、ひなさんは、千栄子さんの不安を一掃するほど努力に努力を重ねた。 「強くなるために何をするか、ということをきっちりやる子じゃないと強くならない。ひなはそれをきっちりやる。お母さんもお姉さんもそんなに体が大きくないから、1日1リットルの牛乳を飲む。それに、走ることをしっかりやらないと強くならないと自覚して、とにかく走った。ああいう子はなかなかいない。」 幾人もの教え子を指導してきた千栄子さんにそう言わしめるほど、ひなさんは、子どものころからひたむきだったのだ。
◆掲げられているモットー
また、クラブに全日本で活躍する選手がいたことが全日本クラスの大会を身近に感じさせ、「ここで一生懸命練習すれば、自分も全国大会へ行けるかもしれない。」と思えたことも、練習に一層励む要因になったそうだ。 “練習は不可能を可能にする” これは、石田卓球クラブのモットーであり、今も卓球場に大きく掲げられている。「ひなはそのモットーを理解し、負けたら練習、負けたら練習、もうそれしかないという気持ちがものすごくあった」と千栄子さんは語る。
◆母の支えあってこそ
さらに、母親との二人三脚ぶりが分かるエピソードが。 「ひなもすごいけど、縁の下の力持ちとして支えたお母さんもすごい。練習が夜9時に終わって、帰る時には、車の中でお弁当を食べながら自分の練習の映像を見て、家に帰ってお風呂に入り、卓球のノートを書いて、そして寝て、朝起きてランニングをする。これを365日続けるのは、もう不可能に近いですよね。それは母の支えがあってこそ。20年の月日をひなの人生に注いだのだから、本当にすごい。」
◆パリに懸けた強い思い
そんなひなさんは、前回の東京五輪で代表になれなかった。しかし、千栄子さんは落胆するひなさんに声を掛けなかったそうだ。心の中では「ここで下向くなよ」と思っていても、本人が一番分かっていることだから、それを言っても仕方がないと。悔しい思いをしたからこそ、パリまでの期間は全く気を抜く暇がなかったという。「オリンピックレースが始まってからは(北九州へ)帰ってきていない。パリに向けての気持ちが今までと違った。」
少しの隙も油断もないほどの集中力で臨み、見事パリオリンピック出場を果たし、銀メダルと銅メダルを獲得。その原点・石田卓球クラブ。千栄子さんの喜びも一入だ。
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