「達成感をその子自身が味わうことが一生懸命頑張れるコツだと思っていて。ウエイトの選手として結果を出すことも一つあるんですけど、それ以外のところで一人の人として何かしら人に貢献してほしい」

ことし4月、ウエイトリフティングの女子日本代表監督に就任した平良真理さん。2000年シドニーオリンピックは県勢女子ウエイトリフティング界において初出場を果たし7位入賞。県勢女子の先駆者として、沖縄のお家芸を支えてきました。
日本代表合宿の合間には、3月まで顧問を務めた嘉手納高校で指導をすることも。
男子選手
「優しくて教え方が上手な先生です。挙げられた重量を更新できた時が一番うれしいです」
女子選手
「(平良監督が)自分をこんなに誘ってくれるってことは本当に自分にできそうな競技なのかなと思って」
Q結構はまった感じ?
「ウエイトにはまっています、今」
Q結構距離感が近い?
平良監督
「かなり近いと思います。なんですかね、私も選手に育てられている、お互い支えられているなっていうのがあるので」
「一人一人の能力は違いがあるので、その子に応じた目標を設定して、それをクリアしたときの喜びっていうのがいいと、一人一人の成長を達成させて、それからチームとしてみんなで喜べる目標を作っていくのがいいのかなと思っていて」


Q代表監督で(嘉手納高校を)離れるのは名残惜しかった?
「もう本当にそこですよね。すごく何年も迷っていたんですけど、やっぱりここは選手に挑戦しなさいと言っている手前、自分が挑戦していないというのはすごく歯がゆかったですし。ここはチャレンジしてみようという思いになりました」
リオ・東京と2大会連続でコーチとして帯同したオリンピックの舞台。特に小学6年から指導する宮本昌典の試技には心を打たれたと言います。宮本はメダルを目指して、クリーン&ジャークでは自己ベストを6キロ上回る196キロに挑戦。
平良監督
「最後まであきらめない、触ってもいない重量をいくんだというところで、これまでも最後の最後やったこともないことをやり遂げるところが何回もあって、勝つためにはメダルを取るためにはこの数字だねっていうところで、本当になんか触ってみればできそうな感じで」
自己新記録を目指した試技は失敗したものの、教え子の挑戦する姿に感じるものがあったといいます。
平良監督
「色んなところでさすがだなって思いましたし、こういう経験が次に生かせるんだと強く感じています。(パリ五輪は)いつものスパンより短いので、集中して取り組んで、さらにパリ五輪に向けて輝いていると思います」

2年後のパリオリンピック。メダルを目指す宮本は、リオと東京オリンピックで4位入賞を果たした県出身の糸数陽一と一緒に、東京オリンピック後、沖縄の海を訪れていました。
平良監督
「沖縄の自然をパワーに変えてってことで、パリはあの方向だってことで、二人で肩を組んで宣言をしていたり。宮本は船の上でフォームの練習をしていたり、シャフトも持参して海に向かって練習をしていました。やっぱり現役選手はそうでなくちゃいけないと思います」
県勢女子にも4月の全日本(55キロ級)を制した佐渡山 彩奈(さどやま・あやな)や
今月のインターハイ(59キロ級)日本高校記録を更新する圧倒的な力を見せた比嘉成(ひが・せい)などオリンピックを視野に活躍する選手たちがいます。
日本代表監督として沖縄ウエイトリフティング界への思いは―


平良監督
「楽しみですよね、オリンピックはもう視野に入っているので、メダルをどうやって取りに行くかっていうのをみんなでサポートして導いてあげるかだと思うので、私がナショナルチームでお仕事をさせてもらっているので、いろんな形でつなげていけたらと思っています」
日本、そして沖縄のウエイトリフティングのために平良監督はその優しい眼差しで2年後のパリオリンピック、メダル獲得をめざします。