■その竹喬の画風に影を落とした息子の死 作品『月』に描かれたのは


竹喬の故郷である美術館には、世間がイメージする竹喬の画風とは異なる作品が展示されています。




(笠岡市立竹喬美術館学芸員 柴田就平さん)
「この作品が『月』。竹喬さんはよく雲を描かれておられまして、明るい感じの絵がイメージされると思うんですけれども、これは悲しげな、物悲しげな感じというのがあると思います」
「やっぱりそれは、戦後に夏の曇り空を見ていると、春男さんの出征を思い出すというふうに言っておられるくらいでして…。」
■『月』に描かれたのは深い喪失 中国で戦死した長男・春男さん




描かれたのは深い喪失…1943年、竹喬が54歳の時。竹喬の長男・春男さんが中国で戦死しました。わずか26歳でした。
画家を志し、父の母校で絵を学ぶなど、偉大な父の背中を追い続けた春男さん。笠岡市立竹喬美術館には、春男さんの作品も遺されています。