じいちゃんは100歳まで生きてこの島のことを伝えんといかん
道夫さんを慕っていた、三好さん。子どもたちを連れて大島に会いに行くことも、いたって自然なことでした。道夫さんも、三好さんには自分のすべてを知ってほしいと話していました。印象に残る言葉があります。

(三好さん)「社会と闘う。争いは嫌いだったんですけど、社会の偏見や差別と闘うっていう闘志はずっとみなぎっていましたね。「じいちゃんは100歳まで生きてこの島のことを伝えんといかんのじゃ」って言っていたから。「この醜い姿をさらしてでも」って言っていたので。親族としては「醜い」っていう言葉がとても辛かったんですけど、でもそれが本人の心からの叫び、一番言いたかったことだと思うので。」
社会に対する道夫さんの憤りは生前の文芸作品に色濃く残されています。ペンネームは「政石蒙(もう)」。病気への理解が広がることを心から願い、歌を詠み続けました。

「治りても島を出でゆくこともならず心許なく年賀状かく」「足枷の「らい予防法」をそのままに滅びては惨めすぎはしないか」
平成8(1996)年、当時の菅直人厚生相が「らい予防法」廃止の遅れを謝罪しました。
(菅直人厚生相・当時)
「大変ご苦労をおかけしたことを心からお詫び申し上げたい」














