特集はハンセン病についてです。感染力が極めて弱い病気でありながら、国は誤った強制隔離政策を約90年間とりつづけ、根深い差別と偏見を社会に植え付けました。香川県高松市の国立ハンセン病療養所・大島青松園に暮らした男性の思いを、いま、遺族の女性が受け継ごうとしています。
孤独と絶望を味わった政石道夫さん
(三好真由美さん)
「お水を変えて。やっぱり生きたお花がいいでしょう。人が来た証拠」
愛媛県松山市に住む、三好真由美さんです。
(三好真由美さん)「来たで。お花置いといたよ」

高松市沖の瀬戸内海に浮かぶ大島。国のハンセン病療養所、大島青松園です。ここに、三好さんの親族が隔離されていました。
(三好さん)「私にとっては実家のようなもの、もうひとつの実家みたいなもんですかね。やっぱり私は道夫ちゃんの、政石道夫の孫がわりで」

政石道夫さん。三好さんにとって、大叔父にあたります。大正12年、愛媛県で生まれ、15歳のころ発病したといいます。昭和19年に入隊し、満州に派遣されますが、敗戦しモンゴルに。抑留中にハンセン病であることがわかり、一人、隔離され孤独と絶望を味わいました。帰国後、大島青松園に入所しました。
(三好さん)
「(道夫さんにとってこの病気はどうだった?)当時のハンセン病に対する世間の偏見や差別、家族が受けるであろう差別、どんなことをされるか、そういうことを想像してそれだけが恐怖だったと思います。本当に亡くなる数年前まで家族のことを心配していましたから」














