来年、創設から20年を迎えるFC琉球。クラブの立ち上げに尽力した1人に、サッカー元日本代表ラモス瑠偉さんがいます。チームの礎を築いたラモスさんは、今の琉球をどのように見ているのか、どんなことを期待しているのか。RBC独占インタビューです。

鎌田アナ
「今のFC琉球に足りないところとは」



ラモス瑠偉さん
「ワシやねん、ワシが足りない。魂!」
「社長がいなくなったら?スポンサーがいなくなったら?サポーターがいなくなったらどうすんの? でも選手の中に『俺は関係ない、他のチームに行けばいい』じゃあいらんて、お前らいらんて、本当に沖縄のためにFC琉球のために戦う人だけが集まれば面白いことがもっとできるんじゃないかな…… 喋りすぎか?」

かつて日の丸を背負って戦った、サッカー元日本代表ラモス瑠偉さん(65)
先月、FC琉球毎年恒例の全島サッカー1万人祭りにて往年の代表選手たちが集うレジェンドマッチが開催され、ラモスさんは選手兼監督として出場するため沖縄を訪れていました。

ラモス瑠偉さん
「僕ずっと前から沖縄が大好きで、亡くなった妻が沖縄がすごく好きで、暇さえあれば沖縄に来ていたし、私の中で沖縄は大好きで故郷だと思っている。」

鎌田アナ
「そんな沖縄をホームチームとするFC琉球ですが、立ち上げにはどんな思いがあった」

ラモス瑠偉さん
「生意気言わせてもらうと、私がいなかったらFC琉球は10年か20年遅れている。」


2003年、沖縄かりゆしFCの元メンバーが中心となり発足したFC琉球。かりゆしFCのテクニカルディレクターだったラモスさんも、立ち上げに尽力しました。

ラモス瑠偉さん
「『ラモスさん、チームを作ってくれないか?』と言われ、選手たちを食べさせるために屋台を作って焼き鳥屋とか、酒を売ったりとか、ゼロからのスタートですよね。スポンサーが見つかるまで、(選手に)5万円ずつだけでも渡せるように、これから頑張ろうって。」

FC琉球がサッカーで稼げなかった当時、ラモスさんはポケットマネーで選手たちを養っていたことも。

ラモス瑠偉さん
「このメンバーは焼肉で私はお弁当。お弁当にプラスコロッケ1個とかさ、600円とかさ、それを食べて。じゃあ次はこのメンバーが焼肉とか食べ放題とか。ぱっとみたら『お前こんなに食うんか?!もうちょっと気を使って遠慮しろ!』とか」

あれから19年、県3部リーグから始まった琉球は今やJ24年目。現在は最下位と正念場を迎えるクラブをラモスさんはどう見ているのでしょうか。


ラモス瑠偉さん
「なんかのきっかけで1試合、2試合勝てば勢いで行ける可能性が十分にある。そう見えている私には。悪いチームじゃない。」
「練習場がその環境がここまで整ったというのはやっぱ嬉しいですよ。私たちが練習していた時はもう、とんでもないところで、11人入らないところで8対8の狭いところで練習をやっていたんですよ。」

今月6日には、八重瀬町にクラブハウス付きの練習場が完成。


FC琉球 倉林啓士郎会長
「ラモスさんたちの創設の時の環境から徐々に改善されてきて、今は練習場やクラブハウスも完成して、次はサッカー専用スタジアムを那覇に作るのが会社としての一番の目標。」

2016年からFC琉球の代表を務め、現在は代表取締役社長兼会長の倉林啓士郎さんも、ラモスさんのDNAを受け継ぐ「熱さ」を持ち合わせています。

ラモス瑠偉さん
「FC琉球のストーリーが素敵すぎて、私が中にいたからじゃなくて、深くて素敵すぎるんです。あのサポーターの人たちにも感謝です。」

ラモスさんが語るのは、スポーツの世界に欠かせないサポーターの存在です。中にはクラブ創設前から応援し続けている、チームを愛するサポーターもいるといいます。

ラモス瑠偉さん
「ただ自分一人じゃないね、仲間がいて、選手たちがいて、支えてくれる人がいて、サポーターの皆さんも当時は、何人かな、5人かな。感謝しなきゃいけないんですよ、人生は感謝ですよ、恩返しだよ、義理と人情です。」


「命かけて、このチームの為にも働きたいなと、気持ちは変わらない。創設当時の選手たちも気持ちは変わらないですよ。今のFC琉球に足りないところというか、ワシやねん、ワシが足りない。魂!!」

実はFC琉球の創設にラモスさんが尽力してくれたことを初めて知った方も多いのではないでしょうか。これまでの選手たちが魂を込めて作ったクラブを降格させるわけにはいきませんから、沖縄一丸となって応援しましょう。