沖縄戦を指揮した日本陸軍第32軍司令官、牛島満中将を祖父に持つ牛島貞満さん(70)は、毎年慰霊の日が近づくと沖縄を訪れている。

沖縄に足を踏み入れて今年で30年。 沖縄戦の司令官の孫として沖縄に向き合い続ける貞満さんにその思いを聞いた。


▽牛島貞満さん
「牛島満の名前が刻まれているのは牛島家の墓だとか、鹿児島の陸軍墓地だとか、様々なところがある。階級だとか年齢だとか、そういうものがくっついてくるんですけども」
「人間としてはね、一般兵士でも住民でも、司令官でも同じだったわけですので、その同じさが(平和の礎の)この刻銘によく表れてるんじゃないかなと思います」



牛島貞満さんは、沖縄戦の指揮をとった司令官、牛島満を祖父に持つ。

慰霊の日が近づくと、毎年沖縄を訪れ、県内各地の学校で沖縄戦について考える特別授業を開いている。

「この司令部壕というのはですね、5つの坑口があります・・・」

現在の那覇市首里、首里城一帯の地下にあった司令部を放棄し、糸満市摩文仁へと退却する、いわゆる「南部撤退」。そして「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」という自決前に出した最後の命令。祖父、牛島満によるこの2つの決断は、多くの住民を戦闘に巻き込み、兵士に投降することを許さなかった。