それを前に、日本時間の8月2日、岸田総理はニューヨークで行われたNPT=核拡散防止条約の再検討会議に出席。演説で「ヒロシマ・アクション・プラン」を発表し、核のない世界を目指すとしましたが、一方で、「核兵器禁止条約」には触れませんでした。
被爆者やその家族はこれをどう受け止めたのか、核のない世界に向けて、何ができるのか、取材しました。
■岸田総理のNPT演説への失望
まずは、岸田総理のNPTでの演説を、被爆された方、そのご家族はどう聞いたのか?被爆者団体「東友会」の代表で、ご自身も3歳の時に広島で被爆されたという、家島昌志さんに伺いました。――まず、率直に、どう感じたか、教えて下さい。
東京の被爆者団体「東友会」代表理事 家島昌志さん:
本当の音頭を取ることから逃げてんのかなと、我々もそこは非常に残念ですよ。日本は確かにアメリカの核の傘に守られているということは事実としてあるけれども、被爆国日本が核兵器廃絶に対しては、日本独自の主張を繰り広げますよということは、誰も非難することはできないと思うし、国際社会も認めると思うんですよね。で、それを期待されてると思うんです。
――やはり核兵器の禁止に踏み込んで欲しかったですか?
東京の被爆者団体「東友会」代表理事 家島昌志さん:
私の父親は、25年も経ってから原爆症で亡くなってしまったっていうことと、私自身が72年も経って甲状腺がんになった。そんな危険なものはね、この世に存在があっちゃいけないです。広島出身の首相であって、核兵器廃絶にはより深い思いを抱いているということを公言する以上は、一歩踏み込んで欲しいと。世界に対して恥ずかしいですよ。
岸田総理はライフワークとして、核保有国と非保有国の「橋渡し役」をすると言っているにも関わらず、今回の演説では、それについての具体的な言及はありませんでした。
また、「核兵器禁止条約」、これはNPT(核「拡散」防止条約)よりも一歩踏み込んだ、「核を全面的に禁止しよう」という国際条約ですが、この禁止条約に触れなかったこと、今も日本が批准していないことにも、家島さんは憤っていました。
■被爆の記憶をニューヨークで展示する企画展
家島さんは現在80歳。被爆者の高齢化が進む中、戦争の記憶をどう未来に伝えていくか、ということも課題になっていますが、今回、NPTの再検討会議が開かれたニューヨークで、ある企画展が開かれると話題になっています。主催者の東京大学大学院の渡邉英徳教授に伺いました。
――ニューヨークでの企画展、どんな内容でしょうか?
東京大学大学院 渡邉英徳教授:
広島、長崎原爆の被爆者の方々の証言ですとか、当時の記録写真をまとめたデジタルアーカイブです。三次元のデジタル地球儀=グーグルアースの上に、被爆者の方々の証言を、まさに原爆投下のタイミングで、どこにいらしたのかをというのをお聞きして、その場所に顔写真とともに浮かべて展示します。誰がどこで被爆をしたのかということが、直感的にわかるようにしたものになりますね。
――実際の証言も聞けるのでしょうか?
東京大学大学院 渡邉英徳教授:
はい、この方のお話が聞きたいという風にボタン押してもらうと、お話になられている動画が大型ディスプレイの画面いっぱいに再生されて、その方のお話を聞くことができます。
――なぜこうした展示を企画したのでしょうか?
東京大学大学院 渡邉英徳教授:
多分アメリカ市民の方々で、8月6日や8月9日が何の日かって認識してらっしゃる方ってあんまりいらっしゃらないと思います。せっかくNPTと重なるタイミングですから、原爆投下について深く考えていただけるような、そういう展示にしようと思っています。

「テクノロジーでつながる平和活動」展は、8月6日から2日間、東京大学ニューヨークオフィスで開かれます。
会場に入ると、屏風のように、自分を取り囲む大型ディスプレイいっぱいに、広島や長崎の地図が描かれていて、およそ300人の被爆者の証言が動画や写真でまとめられています。そしてズームすると、その時何があったか、一人一人の話を聞くことができます。

こちらは日本でも、ウェブサイトやスマホのアプリで見ることができるので、「ヒロシマ・アーカイブ」、又は「ナガサキ・アーカイブ」と検索してみてください。















