アメリカの南に位置する、カリブ海の島国キューバ。かつてのスペインの植民地で、独立後はアメリカの政治介入を受けるなど、大国に翻弄されてきた国です。今からおよそ100年前、この国に渡った、沖縄の人々がいました。

「祖父から聴いた話では、私の曾祖父の徳三さんは寡黙な人だったが、私の母とよく遊び、プレゼントを渡すなどしていた」

キューバ移民4世の、マシュー・タマシロ・ハリスさん。茨城県で英語の補助教員を務める傍ら、自身のルーツを探すため、沖縄を訪れました。ハリスさんの母方の曾祖父、徳三さんが瀬底島の出身で、1925年、キューバに移民しました。


キューバ移民4世 マシュー・タマシロ・ハリス
「曾祖父は私の母が幼いころに亡くなった。だから私はいつも沖縄のことを知りたかった、沖縄とは何なのか知りたかった。そして自分のルーツについてもっと知りたいと思うようになった」

現地でパートナーと結ばれた徳三さん。その後、農業で生計をたてていましたが、キューバに渡って18年目の冬、ある出来事が襲います。

キューバ移民4世 マシュー・タマシロ・ハリス
「兵士が日本人を集めた。曾祖父・徳三は銃を持った兵士に連れ去られ、刑務所に連れて行かれた」

1941年、日本がアメリカに宣戦布告。太平洋戦争が始まりました。当時、親米政権だったキューバでは日本人を敵性外国人として逮捕。徳三さんは、およそ4年にわたって刑務所に収監されました。

解放後も農業を続け、キューバ革命など動乱の時代を経てアメリカに移住。移民後は一度も沖縄の土を踏むことはなく、1970年に亡くなりました。

「トクゾー タマシロー」


2017年、ハリスさんはひとり瀬底島に渡り、親族を探しましたが見つからず。それでも瀬底島の公民館や県立図書館が協力し、ハリスさんのことを地元紙が取り上げたことで、大きく進展しました。見つかったのは、徳三さんの妹の息子にあたる宮城敏夫さん。渡航記録や瀬底島出身者の人脈を元にたどり着きました。

「お互いの顔を…」

ハリスさんと敏夫さん。マスクをとって、お互い顔を見合わせるとなんだか恥ずかしそうな様子。沖縄でルーツを探し始めておよそ5年。ようやく会えた親族に喜びもひとしおです。

宮城敏夫さん
「いい男だね、はははは」

探し求めた親族、宮城さんの案内のもと、ハリスさんはついに徳三さんの故郷・瀬底島を訪れました。

「上が左が徳蔵ね」

生家を訪ね、玉城家の位牌に祈りを捧げたハリスさん。家族のつながりに思いを馳せ、感慨深げに語りました。


キューバ移民4世 マシュー・タマシロ・ハリスさん
「自分の曾祖父と祖先が同じこの場所に立って…嬉しい。素晴らしい」
「私の心の家の気持ち、沖縄は心の故郷と思う」

宮城敏夫さん
「そういう出会いができて、非常に感謝しています。今後、機会があったら茨城県に住んでいる、たまに沖縄にきた時に交流したいと思っています」

5年越しに叶った親族との出会い。ハリスさんと宮城さんの交流は、これからも続いていきます。