4月21日、95歳の長谷忠さんは東京・代々木公園にいた。
差別や偏見のない社会を目指す「東京レインボープライド2024」のパレードに参加するためだ。
大阪市西成区に住む長谷さんは人生で初めて東京を訪れた。

長谷忠さん
「こんなに人が多いとは思ってなかった。日本って広いな」
長谷さんはゲイであることを長年隠して生きてきた。
誰にも相談できず、異性に興味が持てない自らを異常だと責めたこともあった。
“同性愛は病気”とされた時代を生きる
かつて同性愛は“異常性欲”や“変態性欲”だと公然と語られ、日本では1990年代まで治療が可能な精神疾患とされてきた。
1929年生まれの長谷さんは誰かと交際したことも性交渉の経験もない。好きな男性ができても告白することもできない時を過ごしてきた。

長谷忠さん
「ゲイ雑誌『薔薇族』が出てから、男同士が出会えることを知った。でも僕は内気やったから行動に移せなかった」
日本初のゲイの商業雑誌「薔薇族」が発刊されたのは1971年。
長谷さんは既に40歳を超えていた。それでも「薔薇族」には救われたと話す。
長谷忠さん
「薔薇族を密かに読んでいた。本屋で売っているんやったら、これを読む人々も世の中にはおるんやなって思った。薔薇族があったのはありがたかった」
デモに参加した過去
1980年代後半になり、性的少数者への人々の意識が変化する中、同性愛者であることを隠してきた長谷さんにも変化が訪れる。
ゲイの権利向上を目指すグループに入り、同性愛者への理解を求めるデモに参加する。
長谷忠さん
「黙ってゲイで生きていても寂しいなと思ったから、やってみようと思って(大阪の)御堂筋のデモに参加した」
けれど、周りは20代や30代の人たちばかり。
すでに59歳になっていた長谷さんにとって、あまり居心地の良い場所ではなかったという。