やればやるほど泥沼に

85年、井口は妻に離婚を切り出されてしまいます。離婚の弁護士費用や子供の養育費などに一部を着服しながら、彼はますます大きなトレードにのめり込むようになります。
87年には累積の損失が2億ドルに達し「もう無理だ」と本店専務にこれまでの不正を告白しようと準備します。ところが、告白しようとした相手の銀行幹部が、告白直前に急死。
機会を失い、さらなる泥沼に足を踏み入れていくのです。

90年代半ば「最強の日本経済」に陰りが見え、この頃から日本は「失われた●●年」に入っていきます。

最初の損失から12年。日本のバブル崩壊後の1995年に大和銀行の損失は、いつのまにか当初の2万倍以上にまで膨れあがっていました。最終的に11億ドル(当時のレートで約1100億円)。この巨額損失を、井口はいわばひとりで抱え込んでいたのです。

もはやこれまで、そして「告白」

95年の夏、にっちもさっちもいかなくなった井口はついに「もはやこれまで」と、巨額損失について当時の頭取に手紙で告白します。突然の告白に銀行上層部は驚き、逡巡した末、大蔵省に報告します。

大蔵省とFRB「事態の把握のタイムラグ」から、話はもっと大問題に発展していきます。

ところが、アメリカ連邦捜査局は大蔵省より前に事態を把握していました。
さらにアメリカ金融当局(FRB)への報告は、大蔵省の事態把握から6週間後になるなど、アメリカは「日本全体で不祥事を隠蔽している」との不信感を持つようになったのです。

共謀したのは、Iguchi、Daiwa、そしてJapanだとされました。

「アメリカ追放」そして

1996年2月、大和銀行は司法取引に応じ、当時としては史上最高額の、罰金3億4千万ドル(当時のレートで350億円)を支払いました。そして、大和銀行はそのままアメリカ追放となったのです。

アメリカでの業務停止命令は、そのまま国際金融市場からの退場を意味しました。

井口は禁錮4年、罰金200万ドルの実刑判決を受け、収監されました。
98年に仮出所。獄中で書いた手記『告白』がベストセラーになりました。

井口が収監された刑務所(ペンシルベニア州)と、獄中で書いた手記『告白』。

彼はスタートレーダーのような派手な生活は一切しなかったといいます。夜の街で豪遊することもなく、近所づきあいも最小限。ひたすらに「損失を隠そう隠そう」としたトレーダー人生でした。
2019年、肺がんで死去したと伝えられています。