集団生活になじめなかった小中学校時代 

小松さんは、小学5年生から中学3年生まで5年間、不登校だった。小松さんには学校が大きな壁に見えた。「常に皆と足並みを揃えて行動しなければいけない」「そうしなければ、はじかれてしまう」そんな集団生活になじめず、いつも周囲の目を気にしながら過ごしていた。窮屈さに耐えられず、次第に学校に足が向かなくなっていった。

■小松希芳さん 
「思い返すと、小学生にしては気難しい性格だったのかもしれません。どこか冷めた目で世の中を見ていたような…。学校に行けなくなったことで、家族には随分心配をかけたと思います。自分の気持ちを上手く表現できず、泣いたり怒ったり、自分自身を責め続け、出口のない真っ暗なトンネルの中を歩いているような気持ちでした。」

自分の気持ちをコントロールできず、もがいていた小松さんだったが、中学生になってある変化が現れる。

小松さんは、当時、不登校の生徒をサポートする教育支援センターに通っていた。そこでひたすら、当時流行した“ミサンガ”や“携帯ストラップ”など、大好きなものづくりに時間を費やしていた。中学生のレベルをはるかに超えた完成度の高い作品の数々。教育支援センターの先生たちは、小松さんの才能に気づき、「作品を販売してみないか」と、声をかけるほどだった。自分の個性が認められ、トンネルの向こうに光が見え始めた。その後、中学3年ごろからは洋服を作り始め、今の道につながっている。