22日に判決を迎える水俣病に関する裁判について。今回の裁判の原告は国の基準では水俣病と認定されない人「未認定患者」です。
この未認定患者を救済する目的の水俣病特別措置法が2009年に施行され、対象となれば様々な救済措置が受けられます。
今回の原告は症状があるにも関わらずこの特措法でも救済を受けられなかったと訴える人たちで国や原因企業のチッソなどに損害賠償を求めています。
提訴から11年。原告は憤っています。原告の1人天草市倉岳町で生まれた中村房代さん(69)は幼い頃から地元の海産物を食べて育ちました。
中村さん「ミナ(貝)とかアサリとか」

25歳の頃、手の痺れや震えなどの症状が出て真珠養殖の会社で真珠の核入れをする細かい仕事に影響が出ました。
中村さん「道具を使いがうまくいかなかった、先輩に迷惑かけたり、上司に迷惑かけたりした」

2009年に成立した特別措置法では対象地域や生まれた年で線引きされ倉岳町は対象外に。中村さんは非該当とされました。

該当地域の人と同じ不知火海の魚を食べ数百メートルの違いで非該当となったことに憤っています。
中村さん「(海の上に)線なんてないですよね、線引きと言われても…責任をとってもらいたい、身体を返してもらいたという気持ちがあります」

去年9月、大阪地裁が特措法の対象外の地域でも不知火海の魚を継続的に食べることで水銀を摂取したとし、128人の原告全員を水俣病と認めました。
藤下節子さん(66)は大阪の裁判で姉が水俣病と認められました。
藤下さん「姉も『あんたも頑張りなさい』と言ってくれました」

天草市河浦町で生まれ育った藤下さんは7人きょうだいで、特措法では一緒に暮らしていた漁師の兄2人は「該当」でしたが、藤下さんや姉は「非該当」とされました。同じ食生活だったのに判断が分かれたことに不信感を抱いています。
藤下さん「実際に(魚を)食べているのにどうして食べていないと言えるのかそれが不思議です」

3月16日、原告や支援者たちが開いた決起集会で原告団長の森正直さん(73)はこの10年で亡くなった246人の原告への思いを語りました。
森さん「『もう動けないからみんなのことを頼む』と涙ながらに訴えた人、『あと1回でいいから裁判所に行きたい』、懇願してくれた人。この10年間で、どれだけの被害者たちの被害と苦しみや悲しみの声を聞いたことでしょう」

亡くなった原告の想いとともに判決の日を迎えます。判決は22日11時に言い渡されれる予定です。














