
会社発展のため海外進出を模索していたシンクは、発展途上のベトナムに注目します。さらに最大の決め手となったのは、ベトナムに対する小林会長の思いでした。
シンク 小林敏明会長:
「ベトナムっていうのは私たちの世代にとっては第2次世界大戦後、最大の悲劇みたいなこと起きた国で、その国に何かできるかもしれないという気持ちが動いたのも事実」
1960年代からのベトナム戦争では推定8000万リットルの枯葉剤などの有害化学物質がアメリカ軍により散布されました。
枯葉剤を直接浴びたベトナム人はおよそ500万人にのぼります。
小林会長は10代から20代のころ、ベトナム戦争のニュースを見聞きするなかで友人らと戦争についてよく議論したといいます。
「何かできるかもしれない」という思いから2008年、ベトナムでアクセサリーを加工する拠点を稼働させます。
しかし、現地の技術力に周囲は懐疑的で3年は赤字が続きました。
シンク 小林敏明会長:
「従業員が仕事がないからって会社の敷地をみんなで草取りかなんかをして時間をつぶしていたような時期もあった」