春のセンバツ高校野球が今月18日、開幕します。センバツは初、甲子園出場は1994年の夏以来の山口県立光高校。29年前、杉村衡作キャプテンの選手宣誓はファンの間で「甲子園の歴史を変えた」と言われるほど大きな話題を呼びました。あの選手宣誓はどのようにして生まれたのか。母校の晴れ舞台を心待ちにする杉村さんに話を聞いてきました。
甲子園の歴史を塗り替えた選手宣誓
1994年、夏。光高校はサヨナラ勝ちで2年連続、2度目の甲子園出場を決めた。野球部を率いたキャプテン・杉村衡作。のちに甲子園の歴史を塗り替えるこの男も喜びを爆発させた。

あの夏から29年。「甲子園の歴史を変えた」と言われた男は今、滋賀県にいた。大阪の会社に勤めながら、毎週日曜日、自身の子どもが通う小学校のPTAでソフトボールをするのが楽しみだ。
仲間のために~キャプテンシーは今も健在

午前9時開始だが、杉村さんは7時にはグラウンドを訪れる。仲間が気持ちよくプレーできるようにグラウンドを整備するためだ。前日の雨の影響で、この日は水たまりが出来ていた。1人黙々と、スポンジで吸い上げる。グラウンドの端の、小さな水たまりまで、丁寧に。

杉村衡作さん
「メンバーが荷物を置いたりするんで、水を抜いておこうかなと」
仲間を思うキャプテンシーは高校野球を離れた今も健在だ。
高校野球で学んだ「周囲への感謝」

杉村さん
「きつかった思い出はいっぱいですけど、礼儀なども教えてもらったと思いますし、何よりも感謝ですかね。結局何でも1人じゃできないなっていう。自分1人で打って投げて守って勝てるわけではないので」
2年連続の夏の甲子園で大役を

1994年、夏の甲子園。光高校は2年連続となる夏の甲子園の出場を決めた。目標は初勝利だったが、組み合わせ抽せん会でまさかの大役を引き当てる。開会式での選手宣誓だ。
杉村さん
「うわあ俺や、って。チームメイトはむっちゃ盛り上がってましたね。あいつ引きやがったみたいな感じで」