震災と原発事故から11年あまり。あのとき、子どもだった若者たちを取り巻くいまを考えるシリーズ「それから~若者たちの震災~」


今回は「語り部」をテーマにお伝えしています。富岡町からお伝えします。一時、全町避難となり、町の姿も大きく変わりつつある中、試行錯誤をしながら、伝承を担う20代に注目しました。


今月15日のJヴィレッジ。語り部が話しかけているのは、東京から来たおよそ200人の修学旅行生たちです。

参加した修学旅行生「風評被害って県外であったと思うんですけれど、大丈夫だとわかっていても、地元の人でも抵抗はありましたか?」

富岡町3.11を語る会・宗像涼さん「例えばモモを作って、モモを出荷しますと言って、戻されたりとかいうことがあったらしい。そういうのをどうにかしようというのが昔はあった」

「富岡町3.11を語る会」宗像涼さん(23)


説明しているのは、富岡町3.11を語る会の宗像涼さん(23)です。


いまは富岡町にある商業施設の一角に事務所を構える「語る会」。震災のあと、多くの町民が避難した郡山市で誕生し、大部分で避難指示が解除された2017年には、町に移って活動を続けてきました。これまで4万人以上の人たちに、当時の状況や町内のいまを伝えてきました。


富岡町3.11を語る会・青木淑子代表「何が起きたかとかそこで何が失われたのか何が大事なのかとかそういうことを、ちゃんと『人の言葉』で語らないといけない」

震災と原発事故を人の言葉で伝える。シンプルで難しい役割を「語る会」は担い続けてきました。

Jヴィレッジで、宗像さんは素朴な疑問を投げかけられました。


修学旅行生「語る会に入ろうと思った理由は?」

宗像さん「町を知らない、震災を体験したのに震災を知らない、原発事故が起きた所なのに原発を知らないままでいいのかなって思った。もっと自分の下の世代に伝えないといけないというのを、いま思う。だってこれからは震災のことを覚えていない子が出てくるから、その子たちに伝えないとあったことすら分からない状況になる。そのためにも語り伝えるということをやっている」

震災と原発事故が起きたとき、小学生だった宗像さん。長い間避難生活の中で、徐々に町や震災の記憶が薄れていったといいます。

宗像さん「町から離れたのであまり興味を持っていなかった。震災に起きたことで、自分が体験しただけだと思っていたし、向こうの生活に慣れちゃったというのもある」


しかし、久しぶりに町を訪れた際、その変貌ぶりにショックを受けました。

宗像さん「僕は今若いし、体験もしている、今富岡町民だし自分の中で条件はそろっていた。じゃあ町について語ってみようと思い、語りはじめた」