■建物の老朽化・・・「さかなの駅」は、店の人たちはどうなる?
利用してきた倉庫だった建物は、築40年以上が経過。老朽化が進んだことなどから営業を終えることになったのです。
去年12月に行われた感謝祭は大勢の買い物客でにぎわいました。訪れた人は口をそろえて閉店を惜しみます。
買い物客:
「(なくなると)今までおいしい魚を買っていたのが安く買えなくなるかなと、すごく寂しい」

「震災後はずっとここでお世話になったからね、ここへ来ると被災した人と会えるので」

オープンから3年前まで、さかなの駅で青果店を営んでいた宮川広光さんも駆け付けました。
元青果店店主 宮川広光さん:
「本当に残念だと思います。もっと続けてやりたかったと思います。たぶんここにいる人たちもお客さんたちも思うんじゃないですか」

被災地を支えてきた、さかなの駅。当初は9店舗が入居していましたが、経営者の高齢化や経営環境の変化などから、入れ替わりもあり、現在は7店舗に減ってしまいました。その分、建物の管理費などの負担も増えました。
平塚商店平塚一信社長:
「最初の計画の売り場面積でずっとやれれば、なんとかなったかもしれないけど、抜けた方とかやめた方がいるので、その中で運営するのが徐々に厳しくなってきた」
そうしたなか、店舗の経営者に余力があるうちにと、さかなの駅の営業終了を決断しました。
平塚商店 平塚一信社長:
「(ほかの店の)ついでにきてもらったお客さんは、今度はなくなるわけなので、うまくいけばいいな。(別々になってもやることは)同じだよね。基本はね。いい魚をできるだけいい状態でお客さんに紹介していきたい」

さかなの駅は、震災発生直後から11年にわたり気仙沼の人たちの生活を支え、心のよりどころとなり、愛されてきました。7店舗のうち6店舗は、市内にそれぞれ移転して、新天地で気仙沼の生活を支え続けます。