残されたわずかな資料 戦後80年を機に語り始めた思い

戦後80年を機に自らの経験を伝え始めた菅原さん。当時のことを知りたいと、資料が残されている柴田町の郷土館を訪れました。

第一海軍火薬廠に関する資料は戦後、軍事機密として多くが焼却され現存するものは少ないといいます。そんな中、当時、第一海軍火薬廠の食堂で使われていた皿が去年、寄贈されました。

菅原郁夫さん
「これで食べたような気がする。ごはんと汁と、二皿ぐらいだったと思う。なんとなく覚えています。小さい切符を渡されてね」

軍への入隊を心待ちにする軍国少年だった菅原さんですが、自らを含め多くの人の人生を狂わせた戦争は愚かな行為だったと振り返ります。

菅原郁夫さん
「一般の工員のほとんどが学徒動員で来ている人が多かった。学業も捨ててみんな働きに来た。戦争でなければ学業にいそしんで立派な人になっただろうし、結局は戦争の犠牲になった人が多い」

戦争を知らない世代が増えるなか、自分が伝えていくことの必要性を感じています。

菅原郁夫さん
「経験がなければ戦争について話せないと思う。私は戦争の、最後の軍事教育を受けた人間として戦争は人間としてあってはならない、国としてもあってはならないとつくづく感じた」

二度と過ちを繰り返してはならない。終戦から80年の時が経っても、菅原さんの思いは変わっていません。