忘れ去られた戦争遺跡

国内最大規模という民間防空壕は、なぜ80年近くもの間発見されず、地下に眠り続けていたのだろうか。仙台空襲から1か月後の1945年8月15日に日本は敗戦し終戦を迎えた。大人たちが涙を流し玉音放送に聞き入る一方、子どもたちは「もう空襲警報におびえなくていいんだ」と手を取り合い喜んでいたと言われる。その後の仙台は、戦災復興へまい進することになる。新しい街ができあがっていく中で、戦災の忌まわしい記憶として地下防空壕の存在は忘れ去られ、80年近くもの年月が過ぎたのかもしれない。

戦災復興展(2025年7月5日~13日開催)

仙台・空襲研究会によって写真と映像に残された巨大防空壕の姿は、今年の戦災復興展で展示された。空襲の記憶を後世に伝えることはもちろん、当時の掘削技術や仙台特有の地形を知る意味でも巨大防空壕から学ぶべきことは多い。だが、今のところ安全性の理由からこの防空壕の詳しい場所は公開されていない。管理する仙台市も立ち入りを禁止している。所々、崩落の危険があることに加え、二酸化炭素濃度が濃い場所もあるという。仙台市は、詳しい安全調査を進めるかどうか検討しているというが、この戦争遺跡を一般公開するか、今の時点では判断できる状況にないと説明している。

現在の仙台市中心部

杜の都の地下で眠り続けていた巨大な防空壕。平和学習の場所として一般公開される日を待ちたい。