強烈なマイノリティーだったからこそ

カナダ時代の南さん(前列中央)

SNSでも、南さんは少年時代の「気づき」について触れています。

「私が選手以上に興味を持っていたのが、Yankeesの球団オーナーでした。当時は、George Steinbrenner氏(Hal Steinbrenner氏の父)が指揮を執っていました。その存在感は圧倒的で、文字通り"The Boss"という名にふさわしい人物でした。そんな姿を見るにつけ、私の中で興味が選手からSteinbrenner氏に次第に移っていったのを覚えています。いつしか、他のMLB球団のオーナーも調べるようになり、憧れの存在となっていきました。両親によると、10歳の頃には、選手ではなく『MLB球団のオーナーになりたい!』と、自分の夢を口にしていたそうです」

友だちと一緒になってお気に入りのチームの選手の活躍に一喜一憂しながら、南さんはチームの成績を大きく左右するのはオーナーの意向や采配だということを見抜いていました。番組の中で南さんは幼少期に海外で生活した経験が自らの洞察力を鍛えたと話していました。

「カナダ時代、学校で唯一のアジア人だった僕は、強烈なマイノリティーでした。帰国後、中学校は磐田、その後引っ越して浜松の高校に通いました。親も、自分自身も日本人なんですが、考え方、価値観は生粋の日本人ではなかったので、日本でもマイノリティーだったんですよね。カナダでは英語ができなかったし、日本に帰ってきても日本語ができなかった。しかし、言葉ができない中でも、目で見て肌で感じて、耳で聞けるわけです。目の前の環境が何を求めてるのか、どういう課題があるのか。もっというと、何が評価されて、何が自分自身の成長につながるのかっていうのを、言葉ができないがゆえに、そしてマイノリティーがゆえに深く観察していたと思います」

憧れのスタジアムで思い伝える

憧れのスタジアムにオーナーとして立った南さん

ヤンキースの発表から数日後、南さんはヤンキースタジアムで記者会見に臨みました。部分オーナーが認められた理由を聞かれた南さんは「交渉のプロセスを通じて、過去に数々の日本人メジャーリーガーがヤンキース球団と築いてきた信頼関係、そして何よりも彼らの活躍、成果を通じてアメリカのファンの心をわしづかみにしてきた実績が、とても大事な土台としてあったと思います。同時に私の前職が日本のプロ野球球団の経営であり、私の野球に対する熱意や情熱というものが刺さったのではないかなと感じてます」と説明しています。

また、MLBの公式ページに掲載されたインタビュー記事で記者は「南氏は日本でのスポンサーシップをはじめ、自分の持つリソースをヤンキースの望むように活用することを希望している。彼はこの経験をメジャーリーグ球団の運営法を知るいい機会と捉えているようだ」と記しています。