【千奈ちゃんの母親意見陳述 全文】
この事件の被害者である河本千奈の母として、次のとおり意見を述べます。2022年9月5日の事件以降とてつもない喪失感と絶望感に襲われています。 本当に生きていく事が辛く、苦しく、二人の子どもの存在が生きがいでした。 身も心も傷つき、未来希望も失い、生きていることが苦しすぎて、死んでしまいたい。本当に地獄でしかありません。
千奈を返して欲しいと毎日、毎日思います。事件当初から現在までこの気持ちは変 わりません。千奈の死に対する悲しみ、絶望は言葉では表現できません。自分のお腹の中で大切に育んできた命、命がけで千奈を産みました。初めて産声を聞いた時やっと会えた喜びと感動で涙したことを今でも鮮明に覚えています。病気ひとつせず健康に育っていました。それなのに本当にどうして。
毎日千奈の遺影に向かって、何度も何度もごめんなさいと謝り、泣くことしか出来
ない。そんな自分を常に責め、なぜこんな事が起きたのかずっと考えています。
千奈とは毎日「大好き」の言葉を必ず交わしていました。私が「千奈ちゃん大好き」と伝えると、千奈も「ママ大好き」とニコッと笑って返してくれました。寝るときは千奈の右手を私が両手で握りしめて一緒に寝ていました。手を握ると安心して寝てくれましたし、私自身も安心して眠りにつくことができました。妹が産まれてからも少しでも千奈との時間を作り、「ママ抱っこ」と甘えてくれるので沢山抱きしめてあげました。千奈は私の宝物です。
私は千奈を大切に、大切に育ててきました。お腹の中にいることが分かったときか ら、9月5日、朝バスに乗せるときまで必死に千奈を守ってきました。いつも千奈の 笑顔が見たい、千奈の成長を見守って、私の命が果てるまで千奈と一緒に生きていたかった。家族四人で幸せに暮らしたかった。全てを奪った加害者を絶対に許すことはできません。
2歳になる次女はすくすくと成長し、千奈の遺影を見てお姉ちゃんのことを「ねぇ ねぇ」と言います。千奈の声にそっくりになってきました。その次女が泣いてぐずると、千奈がバスの中で一人泣いていた事や、手にケガを負いながら必死に助けを求めていた事を想像してしまい、私は取り乱しパニックになってしまいます。次女の育児もその影響により、とても辛く苦しいです。千奈がいなくなり情緒が不安定になり感情が抑えきれないこともあり、家の中で千奈を探し回り、夜中外に千奈がいるのではないかと思い、外に出たりしてしまいます。事件後から現在も夫婦で精神科に通院しています。
幼稚園に通い始めたのは千奈が3歳半になってからです。それまでは生まれてから 片時も離れずに一緒に居ました。これから沢山の経験をつみ成長していく姿を見たかったです。遠足や運動会、発表会など、なにも経験させてあげることが出来ませんでした。千奈はお友達も多く、家ではお友達の名前を、私に沢山教えてくれました。中には「今日は千奈ちゃん居るかな?」と言いながら登園してくれたお友達や、「千奈ちゃんが居るから幼稚園に行く」と言ってくれるお友達がいたことを、事件後に知りました。夏休み明けの初登園の際もクラスの人気者だったことを、元担任から聞きました。お友達と仲良くすることができ、千奈なりに頑張っていたのだと思い、胸が熱くなり涙が溢れました。
川崎幼稚園を信頼して子どもを預け、いつもの様にバスに乗り登園しただけなのです。元理事長はなぜ安全に対する意識を持って業務を行えなかったのか、元担任はなぜ違和感に気づいていながら行動しなかったのか、なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか、理解に苦しみます。誰を信用したらいいのかわかりません。
元理事長は第二回公判で、裁判長の廃園に関する質問に対し、「今でも信頼して通っている保護者が居るから」と発言しました。私達遺族がいる前で言う言葉ではないと思いました。他の言い方がいくらでもあったと思います。元理事長は、遺族に少しでも寄り添っていきたいと言葉では言うものの、その言葉選びの配慮の無さ、当事者としての意識の低さ、数々の不誠実な対応に、私達遺族は深く傷つき、怒りと憎しみの気持ちでいっぱいです。また、被告人の親族が情状証人として参加していないことも、この事件に対して何も思うことがないのかと感じ、ショックを受けました。
事件から1年9か月が経った現在でも涙を流さない日はありません。一日一分一秒も千奈のことを考えないときはありません。自然と涙が溢れます。千奈と過ごした時 間が過去になり、思い出も増えることがなく、記憶が少しずつ薄れていくのではない かと怖くなります。たった3年11か月しか生きることができなくて、生きさせてあげられなくて、ごめんなさい。親として我が子を失う事ほど、辛く残酷なことはありません。この先もずっと助けてあげられなかった事を一生後悔しながら苦しんでいくのです。両被告人はこの苦しみを理解してください。
福岡県中間市の保育園で起きた同様の事件がありました。裁判長、裁判官の皆様には、過去に起きた事件から何も学ぶ事もなく、わずか一年足らずで今回の悲劇を繰り返した事実を加味していただき、私達遺族に少しでも寄り添った判決を願います。
刑務所とは罪を償いに行く場所だと認識しています。被告人が罪を重く受け止め、 たとえ少しでも刑務所に行くことが償いになるのだと、私は思います。もう何をして も私達の大切な千奈は戻ってきません。実刑を望みます。