らい菌が発見され「感染する」と恐れられた

らい菌

(山本典良園長)
「ハンセン病、この病気になるとどうなるかというと、見た目で分かるのですね。仕事ができなくなる。商家の奥座敷や農家の離れでひっそりと隠れて暮らす。あるいは家族への迷惑を心配して家を出て放浪する。

らい菌の発見以前は、遺伝病と信じられていました。患者を隔離し排除することなく、社会全体で一定の割合で患者を抱えながら共存していた。救済する側にも、感染しないという安心があった。

ところが、1873年、らい菌が発見されて感染するという不安が強まり、それに伴い排除が生まれました。血筋の呪われた病気から、感染する怖い病気になったということなのです。

実際、みんなは無関心なのです。助けようと思うのはクリスチャンだけだった。実際に長島愛生園についてちょっと調べたのですけど、長島愛生園は、1930年にできました。

1950年頃、昭和25年ですね、いわゆる特効薬が出る前まで、不治の病と言われた時。医者35名が務めていたのですけど、そのうち、明らかなキリスト教徒は14名、40%です。

言動から判断して、キリスト教の可能性が高い人を入れると18名になるのですね。35名中18名、51%がクリスチャンです。女性は6人中5名がクリスチャンです。

日本におけるキリスト教徒の割合、1%です。療養所がどれだけクリスチャンの率が高かったかというのと、クリスチャンでしかハンセン病患者に関わらなかった。関わりたくなかった。昔は、ということです」

「コロナ禍でハンセン病の歴史が繰り返された」長島愛生園の山本典良園長が語る「努力を認める社会に」(第3回/全3回)に続く