スティグマ化されたハンセン病
(山本典良園長)
「大谷藤郎さんは『現在のスティグマ』という本を書かれたのですけど、大谷さんは、厚生省の役人で、らい予防法廃止に尽力されて、入所者にとっては神様で、国立ハンセン病資料館には胸像があります。彼がハンセン病についてどのように表現しているか、この本の一節をちょっと読んでいただきます」
(引用:『現代のスティグマ』 ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難 大谷藤郎 勁草書房 1993年)
(朗読)
『叫び泣く大いなる悲しみの声―マタイ福音書・近代化政策とハンセン病患者排除の進行―』。
ハンセン病はかつて『らい』(現在も医学名は「らい」)とも、『前世宿縁の悪病』とも、『天罰を科せられた天刑病』とも呼ばれ、それらの恐ろしげな呼び名からも察せられるように、患者さんは人々から忌み嫌われ、この病の出た家系は代々悪い血筋として周りから気味悪がられ、差別されてきた。
それは、おそらく神経障害により、顔や手足に醜い変形や機能障害が起こり、皮膚には桃色や紅色、黄褐色の不気味で異様な結節や斑紋を生じ、汚い包帯だらけの不自由な姿になり、果ては混合感染により化膿して悪臭を発し、足が立たなくなったり、失ったりして、無様な手作りの箱車でごとごとと路上を這い回って物乞いし、やがて親しき者にも疎まれて行くところがなくなり、群がっては乞食集落の人となり、長い経過の後に死亡するなどの無残たらしい外見や状況のためで、その他に格別の理由があったとは思えない。
とにかく、患者さんとその血筋に対する嫌悪、拒絶は民衆の間に古くから根強く広がっていた。さらにハンセン病がスティグマ化され、迫害と言える決定的な状況にまで加速されたのは、皮肉なことに明治維新以降に日本の近代化政策が進められ、近代国家としての体裁が急速に整えられるようになってからである。
明治四年にノルウェーのハンセンによってらい菌が発見され、らいはらい菌による伝染病との考えが導入され、伝染病対策として消毒、隔離が行われるようになり、それに加えて第2次大戦の軍国主義下に伴う『大和民族の血の浄化』が叫ばれるようになり、患者さんが一般社会から厳しく排除されるようになって、一層激しいものとなった」

「因果応報 天刑病だといわれなき差別があった」長島愛生園の山本典良園長が語る「ハンセン病の歴史」(第2回/全3回)に続く