長男・健吾さんとの別れ
健吾さんも懸命に生きました。しかし、家族との別れのときは迫っていました。
7歳になる直前に肺炎にかかり、病院に緊急入院。容体は戻ることなく、そのまま息を引き取りました。
家族で過ごしたわずかな時間。6年11ヶ月という短い生涯を閉じました。
「元気な体をもろたくせに、簡単に首を吊るやつが許せん」
(竹内昌彦さん 講演より)
「あの子は7歳で、肺炎を起こして死んでしもうたですよ。一度も自分も足で歩けなかった。言いたかったろうに、一度もちゃんと『お母ちゃん』とも言えなかった」
「同じように人間の子供に生まれてきてね、人生って不公平ですよ。苦しい酸素テントの中にいて、このふがいない親父を見つけて、あの子は顔いっぱいに喜んで、それが最後でしたよ」
「あの子はあんな体でも、一生懸命生きようとしたんですよ。だから、元気な体をもろたくせに、簡単に首を吊るやつが、私は許せんのですよ」
「元気な体をもらえたことが、それだけでもどんなにありがたいことか、幸運なことか、それをまずみんな噛みしめてほしいんですよ」

最愛の息子を失った悲しみ。その悲しみを救ってくれたのも、また息子の存在でした。
【第7話】「幼い長男の死を境に...生き方が変わった」に続きます。
【第1話】「自殺するな 逃げてもいいから 死なずに待て」
【第2話】「これまで3回死にたいと...でも生きててよかった」
【第3話】「いじめで死ぬくらいなら...大騒ぎして周りに訴えろ」
【第4話】「こんな子が生まれたことが不幸...踏切へ何度も行った」
【第5話】「人生は思うように行かない...でもそこで全力を尽くせ」
※竹内昌彦さんが理事長を務める、手術さえすれば目が治る子どもたちを支援する「ヒカリカナタ基金」はこちらです。https://www.hikarikanata.com/










