いよいよ訴訟へ 

「そうこうしているうちに、裁判が始まりました。

大きな訴訟というか、集団訴訟の場合には大体原告の意見陳述っていうのが、行われるケースが多いんですけども、瀬戸内の場合は、裁判長が『原告の意見陳述となるものは、訴訟法には何にも書いてないと。だから認めない』と、認めなかったんです。

なかなか前に進まない状況が、瀬戸内は続いていたんですけども、一方で、やはりいずれはちゃんと各療養所ごとの状況をしっかり分かってもらわなきゃいけないと。

瀬戸内は3つの療養所がありまして、岡山県瀬戸内市の邑久光明園と長島愛生園、香川県の大島青松園があるんですけども、それぞれの療養所でそれぞれ特徴的な状況もまとめてとかないかなという話になりました。

私は光明園の担当になりました。実は、愛生園にはかなり資料をきっちりまとめてくださっている、入所者の方がお2人おられまして。

1人は宇佐美治さん。宇佐美さんは、大きな建物の中にその資料を綺麗に整理して、ガイドの人が来たらそこを見れば、なんとなく分かるような資料館を作っておられました。

もう1つは、神谷文庫といって、その文庫の中にもそれなりの多くの資料があるという状況があります。そこを両方とも見ることができるので、まとめようと思えばまとめやすい状況だったかもしれないんですけども、光明園はあんまりそういう資料が綺麗に整理されていなくて。

過去のこととかいろんなものをまとめていくのに、その、何十年分をまとめた冊子は1つあるんですけども、どうもそれだけじゃちょっと心もとないなということで、「楓」という自治会が出してる薄い冊子があり、今も出てるんですけど、「楓」の古いバージョンのものを、自治会が取ってくださっていましたので、それを見せてもらってコピーしました。

私は、週のうち3日間ぐらいは光明園に入りびたりになって色んな作業をしていたのを覚えてます。
そういう整理をしながら、色々、原告の方々とも話をしながら、説明させてもらいました」

邑久光明園