多民族の占領軍「驚きの出来事」も…
そのイギリス連邦占領軍を捉えた貴重な映像が、RSK山陽放送映像ライブラリーにあります。
岡山など中国地方の一部では、一時期アメリカに加えてイギリス連邦占領軍が駐屯。部隊にはイギリス人だけではなく、現在のインドやネパールなど多民族の兵士がいました【画像⑤】。期間は、1946年6月からわずか2年半でした。

(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「たくさんの多民族占領軍がここに来て、まさに幻‥気が付けばいなくなっていた、という状況が岡山に存在した」
(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「この道【画像⑥】は旧日本陸軍の飛行場の滑走路。占領軍もここを飛行場として使っていた」

飛行場は、現在の岡南飛行場の近くにありました【画像⑦】。

ここで、多民族文化が岡山に存在したことを示す、ある驚きの出来事が…。
(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「イスラム教徒がお祭りをしていた場所でもある」
頭に布を巻いた人々。彼らはイスラム教徒の兵士たち【画像⑧】です。

ラマダン月の断食明けを祝う祭り「イード」が、なんと戦後まもなくの岡山でも開催されていたのです。
(ノートルダム清心女子大学 貴志俊彦教授)
「この一帯【画像⑨】に数百人集まって喜びの祭典をしていた」
「イスラム教徒がいたということ自体が忘れさられ、岡山で何をしていたかも忘れられた」

イギリス連邦占領軍の役割は何だったのでしょうか…。
(図書館職員)「これ【画像⑩】ですね」
戦後、日本の警察が権威を失う中、強盗事件が多発していた岡山。彼らは治安の維持や爆薬の処理、さらには駅前商店街などに広がっていた闇市【画像⑪】の取り締まりを担いました。


一方で、兵士の娯楽のため競馬大会が開かれ、日本人も馬券を購入していたことが分かっています。市民と占領軍の交流を示す貴重な写真【画像⑫】があります。

(頼藤弘子さん【画像⑬】)
「『この人が怖い』というような感情はなかった。優しかったですよ」
約80年前、インド兵と写真を撮影した頼藤弘子さん。戦後、頼藤さんの叔母が営んでいた洋裁店には、たくさんの兵士が訪れていたといいます。

(頼藤弘子さん)
「子どもがいればチョコレートやお菓子を持ってきてくれていた」
「写真を撮りに行こうということで」
兵士に誘われ写真館へ。笑顔が素敵な優しい人だったと記憶していますが、内心は複雑でした。
(頼藤弘子さん)
「田舎におったらね、進駐軍が来たら女の人は山に逃げなきゃいけないと聞いたことがある。敵国は鬼のような存在でしょ」
「だけど実際にこうやって見ると、そんな風には見えない。でも日本が負けたのは悔しいという思いはありました」
「80年です…長いですね」
