「逃げるのに必死だった」
鶴之湯旅館も濁流に飲まれ、土山さんは、すぐそばにある肥薩線のトンネルの上に避難しました。

土山さん「初めて見る水位でした。まさかこんなにも早く水が迫ってきて旅館の中まで水が入ってくるとは予想していなかったものですから。逃げるのに必死だったというかとても恐ろしかったのを覚えています」
再開後・・・さらなる苦難
建物自体は踏ん張ったものの、1階部分は柱だけを残してすべて流されました。

それでも、友人や常連客、ボランティアの助けを借りて、翌年の秋には旅館の一部を再開しました。
しかし、ほどなくして休業を余儀なくされます。
土山さん「旅館も次の災害に備えるかさ上げする決断をしました」
約2mの宅地のかさ上げ。再開からわずか3か月で再休業となりました。









